XLミドルトン、モダンファンクの伝道師が語るLAシーンの熱気と日本勢へのリスペクト

XLミドルトン

LAを拠点に活動するラッパーでモダンファンクアーティストのXL・ミドルトン(XL Middleton)が、10月下旬に来日公演を行う。日程は27日(金)・28日(土)の二日間。28日は東京都町田市の「CLASSICS」、29日は東京と渋谷区の「DESEO」に登場する。

沖縄にルーツを持つ日系アメリカ人のXL・ミドルトンは、Gファンクとモダンファンク、シティポップを繋ぐような活動を行っているLAのアーティストだ。2000年代前半にはGファンクを中心としたラッパー兼プロデューサーとして、LAのヒップホップシーンで活躍。自らキーボードを弾いて制作するファンキーなスタイルで、西海岸ヒップホップファンの間で支持を集めた。DJ PMXやGIPPERなど日本のヒップホップアーティストともたびたび制作しており、ここ日本でも人気の高いアーティストだ。

しかし、キャリアを重ねるにつれ、その音楽性には変化が見られた。2012年のアルバム『From the Vault, Vol. 1』などを聴いてみると、ラップはしているものの、ヒップホップやGファンクというよりも「ブギー」や「モダンファンク」と呼ぶ方が似合いそうなスタイルを披露している。自身のレーベル、モーファンク・レコーズ(MoFunk Records)から送り出したシンガーのモニークア(Moniquea)にしてもかなりブギー寄りのアーティストである。さらに、2021年には全曲で日本の曲をサンプリングしたアルバム『XL Middleton & Delmar Xavier VII』をリリース。ブギーやモダンファンクだけではなくシティポップも視野に入れ、Gファンクと他の音楽の共通点を示し続けている。

ヒップホップシーンから登場したXL・ミドルトンだが、その活動や音楽性は既にヒップホップだけで語れるものではない。むしろ初期からキーボーディストとしての側面も持っており、かなり「ミュージシャン」らしいアーティストと言えるだろう。今回はそんなXL・ミドルトンのメールインタビューが実現。LAの文化やモダンファンクシーンの熱気、さらには日本のシーンへの関心まで様々なトピックを語ってくれた。



―あなたはラッパーであり、プロデューサーであり、キーボーディストであり、DJであり、レコードショップのオーナーと多彩な顔を持っていますよね。音楽の道には何から入りましたか?

XL・ミドルトン(以下、XL):僕が幼い頃、父親が演奏と楽譜の読み方を教えていたんだ。父親が持っていたのはキーボードのDX7、ドラムマシン、4トラックのカセットレコーダーというシンプルなセットだったけど、自宅に自分のミニスタジオがあったんだよね。それがローファイなカセットテープサウンドを僕が愛することになったきっかけだと思う。

10代の頃は父親のセットアップを使ってたくさんのビートを作ったよ。いつかそれらをリリースするかもしれないね。父親はほかにも、主にプログレッシヴ・ロックやいくつかのジャズを集めたレコード・コレクションを所有していたんだ。それが自分もレコード・コレクションを始めて、店をオープンする道へと導いたんだと確信しているよ。

―ラッパーとしては誰のスタイルにインスパイアされましたか?

XL:面白い組み合わせに聞こえるかもしれないけど、好きなラッパーはナズとシュガ・フリーの二人だね。 ナズについては、映画を見ているかのような歌詞の視覚的な側面が大好きなんだ。シュガ・フリーは、独特のユーモアのセンスと人生観を持っている。彼は面白いけど奥が深い。アンドレ3000も僕のお気に入りだね。

―プロデューサーとして憧れた人についても教えてください。

XL:ロジャー・トラウトマンの大ファンなんだけど、ヒップホップ・プロデューサーとして最も大きな影響を受けたのは、DJ・クイック、バトルキャット、ウォーレン・Gかな。美しいコードとハードなリズムを組み合わせるプロデューサーが好きで、彼らはその中でも最も共鳴することができるんだ。

―キーボーディストとして研究やよくコピーしたアーティストはいますか?

XL:コードに関して言えば、ジョージ・デュークやロイ・エアーズのような人たちかな。ロイ・エアーズはもちろんヴィブラフォンの演奏で最もよく知られているけど、彼のコード進行は研究する価値があると思う。リードラインとベースに関して言えば、バーニー・ウォーレルだね。

―キーボーディストとしてサポートミュージシャンやスタジオミュージシャン的な仕事を行ったことはありますか?

XL:スタジオではいくつかのことをやったね。ステージでもライブをしたり、いくつかのバンドと一緒に一回ショーをやったよ。80年代のブギー・ファンク時代の二つの伝説的なグループ、プリンス・チャールズ&ザ・シティ・ビート・バンドと、サークル・シティ・バンドのライブステージでキーボードを演奏したことがあるよ。



―あなたはビッグ・チャイナ・マック(Big China Mack)やデルマー・ザビエル・7(Delmar Xavier VII)など別名義を多く持っていますが、そういった活動のやり方は何からインスパイアされましたか?

XL:音楽の通称を作成することが、自分の創造性を高める楽しい方法だからこういった活動をやっているんだ。名前以外にもたくさんの意味があるんだよね。宇宙全体を創造しているかのようにこのアーティストの別名が何を表しているのかを決めて、音楽を超えて世界観として全体を創造するのが最高に楽しいからやっているよ。

―名義はどのような基準で分けていますか?

XL:ビッグ・チャイナ・マックは、90年代初頭から中期にかけてのアンダーグラウンド・ギャングスタ・ラップ・テープのオマージュだったんだ。それはデス・ロウのGファンク作品へのオマージュというよりは、むしろベッドルームで録音されたようなDIYのプライベートプレス作品へのオマージュだった。ビッグ・チャイナ・マックの曲でラップするために作った他のキャラクターもいたから、本当に独自の世界感だったね。彼らはそれぞれ独自の名前、声、そしてユニークなラップスタイルを持っていた。

デルマー・ザビエル・7は、DJエディットやサンプルベースのトラックを制作する時の別名なんだ。これからこの名前で聴くことになるものが、XL・ミドルトンのサウンドから期待されるものとは異なるものであることを確立するために楽しんでやっているよ。




―あなたは初期にはヒップホップとしてのGファンクに取り組んでいる印象でしたが、ある時期からよりブギーやモダンファンクと呼ぶ方が合いそうな音楽性になった印象があります。

XL:そうだね。2000年代はファンクとソウル・ミュージックを深く掘り下げていたんだけど、一番興味を持ったのは80年代のシンセファンクだったんだ。当時は「ブギー」という言葉を聞いたことがなくて、LAではそれを単に「ファンク」と呼んでいたんだ。

他の都市では「ファンク」と言うと、ジェームス・ブラウンやミーターズを思い浮かべるかもしれない。でも、LAで「ファンク」と言うと、ほとんどの人はザップ、Pファンク、ザ・バーケイズのようなアーティストを思い浮かべるんだ。それでその時代の音楽を深く掘り下げることで、Gファンクと僕たちが現在ブギーとして知っているものの関係を理解するようになった。そこからかなりインスピレーションを受けて、ヒップホップに分類できない音楽をどんどん作り始めたんだ。

モダンファンクも、最初はその言葉を知らなかったんだ。それからデイム・ファンクを発見して、彼が毎週やっていたパーティーの「ファンクモスフィア」に通い始めたんだよね。そして、この音楽を愛するコミュニティがあることに気付いたんだ。あれは人生を変えるものだったよ。



―あなたはアメリカを拠点に活動していますが、以前ヨーロッパでもツアーを行っていましたよね。フランスなどヨーロッパにはGファンクを作るプロデューサーも多くいますが、あなたがツアーで訪れた際にLAとの共通点を感じたことはありましたか?

XL:そうだね。彼らのスピリットは全体的に同じで、ファンクへの愛も同じ。でも、ヨーロッパや海外の多くの人々がLA、アメリカをテレビや携帯電話の画面でしか見ていない。だからこちらから行って、生でパフォーマンスを見せることでみんなのそういった気持ちが高まればと思うね。

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