日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか?

80年代の東京(Photo by Ken Straiton/REX/Shutterstock)

70~80年代に発表された日本のポップスが、海外で大きな注目を集めるようになって久しい。かつて国内を席巻した、煌びやかで非現実的な音楽は、丹念に作り込まれたストリーミング世代のポップスとも共鳴している。この現象を米ローリングストーン誌はどのように捉えているのか? 関係者の証言も交えつつ、アメリカ側の視点からシティ・ポップ再評価の真相に迫った。

日本のタワーレコードでCDの山を前にしていたAndy Cabicは、ふと予感めいたものを感じた。フォークロックのバンドVetiverのフロントマンであり、2000年代半ばにはデヴェンドラ・バンハートと共にツアーを回ったこともある彼は、山下達郎やシュガーベイブ、はっぴいえんど等を取り上げたコーナーの前で足を止めた。数時間にわたってそれらの作品を試聴した彼は、新鮮でありながらどこか懐かしいその音楽の虜となった。当時アメリカで流行していたソフトロックやAOR、ウェストコースト・ポップ、ブギー等を連想させるも、その音楽には紛れもないオリジナリティがあった。

「AORやウエストコースト・ポップ、そういうのは耳が腐るほど聴き飽きていて、もはや自動的に脳が拒否反応を示すんだ」Cabicはそう話す。「でも全く違った環境で耳にすると、目から鱗のような体験をすることもある。異国文化というフィルターを通したその音楽に、僕は懐かしさと新鮮さを同時に覚えたんだ」

その時にCabicが出会った音楽の大半は、70年代後半から80年代前半にかけて日本で流行した、シティ・ポップと呼ばれるものだった。ポップ、ディスコ、ファンク、R&B、ブギー、ジャズ/フュージョン、ラテン、そしてカリブ海やポリネシアの音楽まで呑み込んだその煌びやかなスタイルは、ハイテク企業が牽引するバブル経済と、そこから生まれた富裕層の暮らしと分かち難く結びついていた。

あれから40年が経ち、ストリーミングという新たなテクノロジーが音楽業界の主流となった現在、シティ・ポップは現代のポップ・ミュージックと共鳴している。リイシューに特化したレーベルLight in the Atticによるコンピレーション『Pacific Breeze: Japanese City Pop, AOR & Boogie 1976–1986』は、ハイテクブームのサウンドトラックだったその音楽を知る上で格好の一枚となっている。

Translated by Masaaki Yoshida

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