ラランドのサーヤが川谷絵音らと結成したバンド、礼賛が1stアルバム『WHOOPEE』を完成させた。JJJの「wakamatsu」をラランドのライブの出囃子に使い、BIMの命名によるアーティスト名義「CLR(クレア)」を名乗るサーヤのヒップホップ愛と、川谷をはじめ、休日課長、木下哲、GOTOという猛者たちによるエッジの効いたアレンジが化学反応を起こした結果、サーヤのシンガーソングライター的な側面が開花しているのは予想外の偶然か、はたまたラッパーが歌唱することが一般的になった時代の必然か。メンバー全員が安易なカテゴライズを良しとせず、お笑いと音楽を、オーバーグラウンドとアンダーグラウンドを自由に行き来し、ポジティブなマインドで端から端までを真剣に味わい尽くそうとするその精神性を知れば、この音楽的な多面性も必然であることがきっと伝わるに違いない。
サーヤは「歌がめちゃくちゃ上手い」
―まずはバンド結成のいきさつについて教えてください。
サーヤ:令和らしく、DMからでした(笑)。
川谷:サーヤちゃんがユニットライブで僕に「曲を作ってほしい」みたいなことを言ってたっていうのを、スポーツ紙のニュースで知って(笑)。
サーヤ:アピールはずっとしてたんです。
川谷:そこから美的計画で歌ってもらって、そのとき「blackboard」で課長にベースを弾いてもらったりもしたから、その流れで「バンドやりましょう」みたいになって、DMで「メンバー集めときます!」って言って。で、その頃ちょうどサーヤちゃん以外の3人は楽曲提供のレコーディングをよく一緒にやっていて、LINEのグループがあったから、そこで「バンドやらない?」「いいね!」みたいになって。
―サーヤさんは以前からバンドをやりたいと思ってたんですか?
サーヤ:いつか音楽をやりたいとは思ってたんですけど、前までは「芸人をもうちょっと頑張ってからだな」っていう、ざっくりした見立てがあったんです。でも、その後にいろんなテレビとかを一周くらいしたいときに、まず美的計画の話があって、DMをもらったのが自分の中でいい具合いの時期だったというか……。
―芸人としてもひとつ確立できて、音楽をやってもいいんじゃないかと思えたタイミングだった?
サーヤ:はい。今から音楽始めるの超いいなっていうタイミングで「ヒップホップのバンドやりませんか?」みたいなDMが来て、「うわ、来た!」ってなりました(笑)。
川谷:今ってトラックでラップをしてる人はいっぱいいるけど、生バンドのヒップホップはそんなにいないから、とりあえずそういうのがやりたいっていうのだけあって。
サーヤ:美的計画もめっちゃ楽しかったんですよ。打ち合わせをした次の日くらいにデータを送っていただいて、「すごいスピードだな。変態だな」と思ったんですけど(笑)、実際に歌ってみたらすごい気持ちよくて、一曲で終わっちゃうのは寂しいなと思ってたので、DMが来てめちゃめちゃうれしくて、即答で「やりたいです」って返しました。
―川谷さんはサーヤさんのどんな部分に惹かれたわけですか?
川谷:美的でレコーディングをして、歌がすごかったんですよ。あのトラックをミックスしたのは鈴木さん(鈴木Daichi秀行)っていうプラチナレコードとか何作もやってる人で、ジャニーズの仕事とかでもご一緒したことがある人なんですけど、その人とも「すごくない?」みたいな話になって。レコーディング自体初めてで、モニターのバランスとかもよくわかってなかったと思うんですけど、それでもサーヤちゃんは別格で、「これは何か一緒にやりたいな」って思いました。
―課長は「blackboard」でサーヤさんと共演して、どんな印象でしたか?
課長:僕はあの日が「はじめまして」だったんですよ。リハーサルもなくて、不安なまま現場に行って……。
サーヤ:最後にミニコントをして終わり(笑)。
課長:でもやっぱり歌がめちゃくちゃ上手いなと思いました。川谷から噂は聞いてたんですけど、その通りで……そこからバンドを組むことになって、一緒に曲を作ったりライブをしたりして、思ってたよりももっとすごい人でした(笑)。