ミーガン・ザ・スタリオンが語る、負けられない理由

母娘と交わした最期の会話

亡くなった後も、ミーガンの母親は娘の頭の中で生き続けている。新曲「Anxiety」でミーガンは、かつてないほど率直に自身の喪失感と向き合っている。ともいえばシンプルすぎるビートと、センチメンタルなサウンドが印象的なこの曲は、必ずしもミーガンの最高傑作のひとつとはいえないかもしれないが、オープンさにおいては卓越している。“無茶苦茶なことばかりしてごめんってママに謝ることができたらいいのに/ものすごく努力したから許してって言えればいいのに”というヴァースは、天国にいる母へのメッセージでもある。



母娘と交わした最期の会話の中で、母親のホリーさんは娘を叱咤激励した。当時ホリーさんは、ヒューストンの病院に入院していた。脳腫瘍と宣告されていたのだ。ロサンゼルスでの公演を控えていた娘に対し、ホリーさんは次のように言った。「ミーガン、ママが病気だからといってこのチャンスを逃したらダメよ。ママは、あなたがミーガン・ザ・スタリオンであることを邪魔したくないの。ファリスを連れて、みんなでロサンゼルスに行きなさい」

その日、ミーガンは夜中まで母親のもとを離れなかった。ホリーさんは、公演のために娘はロサンゼルスに飛び立ったと思い込んでいた。「何がなんでも、ママをひとりにしたくなかった」とミーガンは言う。「でも、余計なストレスを与えたくなかったから、あの日は家に帰って、軽くお風呂に入ってから病院に戻るつもりだった」。2時間後、ミーガンは病院から母親が意識不明の状態に陥った、という連絡を受けた。それからまもなくして、ホリーさんは息を引き取った。

最期の激励の言葉は、母親の音楽の好みや見解、信念とともにミーガンの心に深く刻まれた。「曲を書く時は、いつも原案を手書きする。ママだったらそうしたはずだから。それから、『OK、ここからもっとハードにしていかないと』と自己批判する」とミーガンは話す。こうした思い出と、ホリーさんの母親でミーガンの祖母にあたるマドリンさんのためにも模範を示さなければいけない、という気持ちがミーガンを支えている。「ママとひいおばあちゃんが亡くなってから、おばあちゃんはものすごく落ち込んでしまった」とミーガンは続ける。「おばあちゃんをこれ以上落ち込ませないためにも、私は大丈夫だっていう姿を見せてあげないと」

5月にミーガンは、ヒューストンにいるマドリンさんをニューヨークに呼び寄せた。当時ミーガンは、METガラに参加するためニューヨークにいた。一握りの家族のメンバーとともに、マドリンさんの誕生日を祝うサプライズディナーが振る舞われた。その場にいた誰もが料理を楽しみながら大声で語り合い、笑った。ミーガンは幸せだった。普段の生活が戻ってきたことで、ようやく心に平和が訪れたような気がしたのだ。

私は、ミーガンにもっと先の将来のことを尋ねた。世界でもっとも有名なラッパーとして華々しいキャリアを終えたミーガンは、どのような人生の黄昏を過ごすのだろう? 「楽しいことが大好きなおばあちゃんになる気がする」とミーガンは言った。「『ほら見て! 膝も全然痛くない!』みたいにね。知ってた? 私は膝が丈夫な家系に生まれたの。私の娘も、孫も、ひ孫も、みんな膝が丈夫な娘に生まれるはず。丈夫な膝に恵まれた、黒人美女軍団の誕生ね」

現在ミーガンは、パーディソン・フォンテーヌと交際中だ。アーティストでありソングライターでもあるフォンテーヌはカーディ・Bのコラボレーターであり、ミーガンの「Savage Remix」にも参加している(「私のパートは担当していない」とミーガンは明言)。ミーガンとパーディソンは、クリエイティブなパートナー関係を楽しんでいる。「私は彼のことを最高だと思っている。彼は、私のことを同じように思ってくれているみたい」とミーガンは話す。「普段は、いつもインスト曲をかけているの。だから、彼のラップはしょっちゅう耳にする。そんな時は、『見てなさい、私のほうが上手だから』って気合いが入るの。私が再生しているビートが気に入った時は『俺にもやらせてくれよ』って対抗してくる。私たちは、互いを高め合っているわけ」

ネット上でも、ミーガンとフォンテーヌは一緒におどけた姿を披露したり、互いを称え合ったりしている。「パーディー」というニックネームで呼ばれるフォンテーヌは、3月にミーガンが踊ったり、ラップしたり、ポーズを取ったり、栄誉に浴したりしている様子を捉えた動画を投稿して恋人を称えた。動画には、“黒人の女の子なら、為すべきことを為せ”という歌詞が特徴のフォンテーヌの「Hoop Earrings」にのせて、ミーガンの大学の卒業式や『サタデー・ナイト・ライブ』の堂々たるパフォーマンス、ヒューストンのシーラ・ジャクソン・リー下院議員から慈善活動を表彰される瞬間などが映し出されていた。

「自分で自分を愛せない時でさえ、私のことを愛してくれる彼には感謝している」とミーガンは話す。フォンテーヌと一緒にいるミーガンは幸せそうに見えるが、それでも事件のトラウマに悩まされることがあるという。「たくさん不安を抱えているし、もしかしたら何らかのうつ状態にあるのかもしれない。『どうして、こんな私のそばにいるんだろう?』って思うこともある」とフォンテーヌのことを口にした。「私は、誠実な人間になるために努力している。だから、私は彼のためにも誠実な人間でありたいと願うの。でも、上手く言えないけど……いまは、自分でもどうしたらいいかわからない。だって、自分で自分が嫌になることが時々あるから。自分をちゃんと愛せない時は、誰かと人間関係を育むのは難しいのかもしれない」

それでも、ミーガンは自分のため、そして自分と同じような経験をした人のために立ち上がってきた。銃撃事件の3カ月後に出演した『サタデー・ナイト・ライブ』のパフォーマンスでは、黒人女性のブレオナ・テイラーさんが射殺された事件に関与した警察官に無罪判決が下されたことに抗議し、オーディエンスに向かって「私たちは、黒人女性を守らなければいけません。黒人女性を愛さなければいけません。なぜなら、彼女たちの力がいつかは必要になるからです」と語りかけた。それからまもなくして、ミーガンはニューヨーク・タイムズ紙にコラムを発表。黒人女性の社会政治的な功績や挫折に焦点を置く一方で、自らの経験を語った。「私は批判されることを恐れていない。知らなかった?」とミーガンは綴っている。

ミーガンは、他界した曽祖母から社会的責任の大切さを学んだ。「ひいおばあちゃんの家の前を通ると、玄関から家の前を通る子供たちにいつもお金を配っていた。家族であれ、友人であれ、ひいおばあちゃんはいつも誰かを助けていた」と振り返る。「貧しい地域で暮らしていたけど、ひいおばあちゃんはいつも自分が裕福だと思っていた。人間の価値はお金で決まるものじゃないってわかっていたから、自分でお金を稼いだの。そんなひいおばあちゃんに、私はいつも憧れていた」

急逝したファンの葬儀費用として遺族に8000ドルを寄付したり、フライドチキンの人気チェーンのポパイズ・ルイジアナ・キッチンや人気ブランドのFashion Novaと大々的なプレゼントキャンペーンを行ったりと、いくつかの慈善活動を経てミーガンは両親の名前を冠した「ピート&トーマス・ファウンデーション」を設立。現在はミーガンの自己資金で運営されているこの財団は、教育や住宅、さらには健康やウェルネスといった問題に着目している。

ミーガン・ザ・スタリオンは、さまざまな奇跡を起こしてきた。世間をあっと驚かせ、文化を変えてきたこれらの素晴らしい奇跡は、ミーガンが自らの手で起こしたものだ。ブレイクのきっかけとなったシングル「Big Ole Freak」が音楽チャートを席巻したのは、わずか3年前のこと。金銭への愛着を歌った意欲作『Fever』を携えてメインストリームに躍り出てから、たった3年しか経っていない。それ以来、世間はミーガンのあらゆる行動や心の傷を詮索するようになった。その一方で、多くの人がミーガンとともに大切な人の死を悼み、歴史的な功績を分かち合ってきた。



「あなたがいままで歩んできた人生について、世間に特に知ってほしいことは何ですか?」と尋ねると、ミーガンは一瞬考え込んだ。「そうね、いまさらって感じだけど」と口を開く。「私の人生はかなり滅茶苦茶だけど、それでも私は私として生きている。滅茶苦茶な人生を歩みつつも私が達成できるかもしれないありとあらゆることを想像してみてほしい。いまここで倒れて、ゲームから身を引くわけにはいかないの。だから、あなたも絶対に諦めないで。私が乗り越えられたんだから、あなたにも乗り越えられないはずはないわ」

from Rolling Stone US

Translated by Shoko Natori

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