ドラムンベース人気再燃の理由とは? DJカルチャーの変容と女性たちの活躍

ドラムンベースは「新たなモータウン」

ドラムンベースが30年前に誕生した時、BPM140以上で早回ししたブレイクビーツのサンプルをベースにしていた同ジャンルは「ジャングル」と呼ばれており、昔から変わらずBPM120を基本としているハウスよりもずっとテンポの速い音楽だと認識されていた。90年代半ばになると、ジャングルという言葉に伴う人種差別のイメージが問題視され、ドラムンベースあるいはD&Bという名前に置き換えられるようになった。またその頃から、従来のドラムブレイクの代わりにタイミングのズレた2ステップビートが使われるようになり、BPMはさらに増して170を超え、ダンサーたちは半分のテンポで奏でられるスラッジーなベースラインに合わせてスカンクに興じた。


新旧のドラムンベース・クラシックをまとめた、米ローリングストーン誌作成のプレイリスト

ソウル・Ⅱ・ソウル、エイミー・ワインハウス、そしてピンクパンサレス等を生んだイギリスのシーンにおいて、ドラムンベースは独自のポジションを確立している。「黒人のオーディエンスが中心のクラブでは、ダンスホールやR&B、USヒップホップなんかと一緒に、ドラムンベースのクラシックが当たり前のようにプレイされている」。そう語るのは、イギリスのサウンドシステムのオーラル・ヒストリー『Bass, Mids, Tops』の著者であるジョー・マグスだ。「(イギリスでは)ドラムンベースは常にポップカルチャーの一部だった。テレビや広告のバンパーとして、誰もが日常的に耳にしていた」

ロックンロールからヒップホップ、ハウスまで、イギリスのアーティストたちは海の向こうで生まれたブラックミュージックを独自の視点で解釈してきた。しかし、ドラムンベースは英国が生み出した初の本格的なブラックミュージックとなった。「そのルーツを意識すると、黒人としての誇りを感じられる」とSherrelleは話す。「ドラムンベースはこの国のカルチャーの本質とDNAを体現している」


ゴールディーことクリフォード・プライス、1997年撮影(Photo by Martyn Goodacre/Getty Images)



それはD&Bが時代を超えて支持されている理由に他ならない。「映画の撮影をしていたときに、現場の誰かがこう言ったんだ。『父さんにこの曲を聴かせてもらった』」。俳優としても活躍するD&Bのパイオニア、ゴールディーは笑ってそう話す。それはドラムンベースが「新たなモータウン」になったという彼の主張を裏付けている。

それはイギリスに限った話ではない。アメリカでのドラムンベース人気の高まりは、この国におけるブラックミュージックに対する理解の深まりが大きく関係している。「ドラムンベースはデトロイトテクノと同じことを経験した。白人のオーディエンスが大半だったために、「白人の音楽」というレッテルが貼られ、黒人のオーディエンスからは敬遠されてしまった」。そう話すのは、デトロイトのドラムンベースDJ兼プロデューサーのSinistarrだ。「今ではアメリカでも黒人のD&Bプロデューサーは珍しくないし、コミュニティは成長し続けてる」。ドラムンベースの隆盛は、ナイトライフと結びついたブラックミュージックがメインストリームで注目されている現在の状況と無関係ではない。ドレイクの最新作『Honestly Nevermind』が、ハウスとボルチモアのクラブシーンの盛り上がりに着目しているように。

Translated by Masaaki Yoshida

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