隣人の証言「カオスと暴力のるつぼ」ヘンリケスによれば、最初に問題が浮上し始めたのは2013年だという。姉妹はまだカリフォルニア州オレンジ郡のアパートで同居していた。だが反対尋問では、2015年10月まで結婚を応援していたことも認めた。デップの弁護を務めるレベッカ・マクドウェル・レカロス弁護士から反論されると、ヘンリケスはつつがなく結婚生活を送りたいという姉の意向をくもうとした、と言った。デップが素面の時は「物事は上手くいっていましたから」
「彼はいい方向に向かっていると誰もが思っていました」とヘンリケス。「みんな彼のいい面を見ようとしていたんです」
デップがロサンゼルスに所有するペントハウスに居候していたジュエリーメーカーのラケル・ペニントンさんとシェフのジョッシュ・ドリューさんの夫婦は、大家とその妻――向かいに住む隣人であり、友人、そして庇護者――の生活を、カオスと暴力のるつぼと表現した。7カ月前に撮影され、18日に再生された夫妻の宣誓録取によると、デップがロサンゼルスの中心地に借りていた住居や、フランス、オーストリア、カリフォルニア砂漠への旅行ではよく友人や家族が集まっていたが、ドラッグとアルコールのせいでデップの気分が変わり、お祝いムードは険悪になったという。
家庭内暴力が最高潮を迎えたのは2016年5月21日。デップとハードの間で罵り合いの口論が起き、あまりの険悪さにペニントンさんが間に割って入った。デップが2人の前に立ちはだかったので、彼女はソファの上でハード覆いかぶさった。武器はないかと、ペニントンさんはコーヒーテーブルの上にあった大きな陶器の灰皿に目をやった。「彼が近づいてきたら、灰皿を掴んで殴ってやろうと考えていました」と、ペニントンさんは泣きながら語った。
専属セキュリティガード2人が現れてデップを部屋から連れ出した、と彼女は証言した。だがデップは出ていく途中、家の中を破して回り、ワインボトルで物をたたき割ったり、建物から出ていく時も周りのオブジェを放り投げた。後日、警察が2度邸宅を訪問した。その2日後にハードは離婚届を提出。ほどなくデップに対して接近禁止命令を出し、受理された。
裁判により、セレブの名前がちりばめられた家庭内暴力の全容が明るみになった。ハードとデップが別居した後、億万長者イーロン・マスクがハードさんを訪ねてペントハウスに通う姿をみた、とドリューさんは証言した。
恐ろしい行為の生々しい詳細や激しいやりとりが次から次へと語られ、証言台は離婚した夫婦の私生活であふれかえった。裁判と並行して情報合戦も勃発。デップのファンは主にTwitterやRedditのフォーラムでハードを軽蔑と嘲笑の的にし、一貫性がなく穴だらけの彼女の証言を喜び勇んで検証した。ぱっと見た限りでは、名のある俳優2人のどちらの証言なのか、分からなくなるのも当然だ。裁判を生配信するYouTubeページをスクロールすると、絵文字や大文字があちこちに点在する一方的なスローガンが並んでいる(「ジョニーに正義を」「アンバー・ハードの意見に耳を傾けろ」等)。
ハードは自分を犠牲者として描き、暴力的で支配的な虐待者から何度も殺すと脅され、一度などは瓶で性的暴行を受けたとも語った。デップはハードを殴ったことはないと否定し、実名か匿名に関わらず虐待疑惑は捏造であり、そのせいで自分の生活と評判が失墜して失業状態に追い込まれた、と証言した。彼は証言の中で、欲深く、復讐心に燃え、#MeToo運動に便乗した元妻の被害者として自分を描いた。ハードと弁護団は、寄稿記事が掲載される2年前から暴力疑惑は公然の事実で、のちにイギリスの裁判所でも認められていることからも名誉毀損の訴えは根拠がない、と主張している。イギリスの裁判では、ロンドンのタブロイド紙から「暴力夫」というレッテルを張られたとしてデップが名誉毀損で訴えていたが、判事は彼が殴って妻を怯えさせたのは事実であるとして訴えを退けた。
デップのキャリアがダメになったのは身から出た錆で、薬物中毒と、職場での気まぐれでプロらしからぬ言動により業界内での評判が悪くなったせいだ、とハードの弁護団は主張している。
from Rolling Stone US