1960年代後半のカレッジフォークを仕掛け人とともに振り返る

本城和治(以下、本城):こんばんは、本城です。

田家:キャンパスフォークと言ってしまいましたが……。

本城:キャンパスフォークというのは抵抗がありますね。僕はカレッジフォークという言葉を使いました。森山良子を担当していたのですが、彼女のアルバムにカレッジフォークという言葉を当て嵌めたんですね。なので、カレッジフォークという言葉を使っているのはフィリップスだけなんです。

田家:なるほど。

本城:会社によってキャンパスフォークとか独自の言い方をしていましたね。

田家:GSという言葉はかまやつさんか本城さんがお付けになったんだと思っていたら「週刊明星」でしたが、このカレッジフォークというのは本城さんがお付けになった。すごいな。こういう歴史の真実が明かされていきます。本城さんは元々ビクターの洋楽部にいらして、GSは作家が専属作家ではないのでビクター本体ではできないから洋楽系のフィリップスレコードでやったと。

本城:たまたま私がフィリップスにいたからということもあるんですけど、ビクターの文芸部にいたらやってなかったかもしれないですね。

田家:カレッジフォークの方にも、レコード会社の事情はあったんですか?

本城:やっぱり専属じゃなくてフリーの作家でしたね。フォークならシンガーソングライターということになりますね。

田家:そういう人たちは古いビクター本体では仕事ができない時代だった。何はともあれ今週も10曲お聞きください。まずは1966年4月発売、マイク眞木さんで「バラが咲いた」。

Rolling Stone Japan 編集部

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