チェット・フェイカーが語る巨大な成功とその後の人生、イーノに通じる音楽創作論

チェット・フェイカー(Photo by Chet Faker)

ニューアルバム『Hotel Surrender』を発表したチェット・フェイカーにインタビュー。6年ぶりにこの名義を復活させた彼の新境地とは?

いまから振り返って2010年代初頭は、アンダーグラウンドのエレクトロニック・ミュージックからの影響がソウルやR&Bと結びつき、ワールドワイドに新しい展開を迎えている時期だった。そんななか、オーストラリアはメルボルンから現れたチェット・フェイカーを名乗るシンガーソングライター/プロデューサーであるニック・マーフィーは、簡素ながら細やかな工夫のあるダウンテンポ・トラック、独特の粘り気のある歌声とメランコリーを孕みつつ耳に残るメロディーを個性として、一躍注目されることとなった存在である。まだ活動初期の2013年、スーパーボウル放送時のCMにデビューEPからの楽曲でR&Bグループのブラックストリートのカバー「No Diggity」が使用されたことで、インディ・シーンの注目株からメインストリームにまで話題は飛び火。デビュー・アルバム『Built on Glass』(2014年)をリリースする頃には、当時から視覚的に強力なインパクトを与える映像を得意としていた気鋭の映像作家ヒロ・ムライがシングル「Gold」の鮮烈なミュージック・ヴィデオを手がけたことも拍車をかけ、大ヒットを収めることになる。

ただ、そこからのマーフィーのキャリアはやや複雑さを帯びていくことになる。名義を本名のニック・マーフィーに変え、より実験的なサウンドにトライすることになるのだ。プロダクションのギミックを増やしアレンジメントを多彩にした『Run Fast Sleep Naked』(2019年)、ささやかなアンビエント作品『Music for Silence』(2020年)といった近作は、ある意味、彼が音楽性の幅を広げるための苦闘の跡だったようにも見て取れる。いまから思うと、デビューから間もない巨大な成功に対する戸惑いをどうにか乗り越えようとしていたのではないだろうか。

『Hotel Surrender』はマーフィーにとってチェット・フェイカー名義としては『Built on Glass』以来となるアルバムで、彼の道のりを思うと、気持ちのいい驚きをもたらしてくれる作品となっている。初期からの特徴であるベッドルーム感覚のシンプルなトラック作りやメランコリックなメロディーは残しつつも、ストリングスを要所に差しこんだアレンジは洗練され、何よりも全体のトーンが明るいものになっているのだ。ゆるやかなファンクネスを感じさせるトラック群が醸すダンサブルな印象もあり、とにかく風通しがいい。パンデミック禍のニューヨークで制作を続けながら、どのような心境の変化が彼のなかに起こり、本作が生まれたのか。率直に語ってもらった。



―こんにちは。調子はどうですか。

ニック・マーフィー:調子はいい。きみは?

―調子はいいです。今日はお時間ありがとうございます。いまはニューヨークにいらっしゃるのでしょうか? 

ニック:そうだよ。めちゃくちゃ暑いよ。

―今日は少しキャリアを振り返りつつお話を聞きたいと思っています。ニックさんは、チェット・フェイカー名義のデビュー作『Built on Glass』でいきなり大成功を収めたわけですが、現在から振り返って、当時の状況はどんなものでしたか? 急激な変化に戸惑いもあったのでしょうか。

ニック:間違いなくあったね。外向的な面もあるにはあるけど、どちらかというと内向的なほうだからストレスも多かった。それまでずっと、家のガレージで自分ひとりで趣味で音楽を作っていたわけで、レコーディング・スタジオに入ったり、バンド・メンバーがいたわけじゃない。だから実家のガレージから、いきなり世界中を音楽で旅することになって(笑)、コーチェラといった大きなステージにも立って。生活が一転したよ。「間違ったことをしたらどうしよう」とばかり考えていた。音楽を作りたいという思いだけでやってて、そのチャンスが到来したものの、会うひと会うひと全員に「こうしたほうがいい」と言われているようで、それがストレスになっちゃって(笑)。いまは全然平気なんだけどね。10年経ってようやく楽しむことができるようになった。



―ヒロ・ムライが手がけた「Gold」の鮮烈なミュージック・ヴィデオによってチェット・フェイカーの存在はより知られるようになったわけですが、同時に、あのヴィデオはヒロ・ムライの名も広めることになったと思います。チャイルディッシュ・ガンビーノの「This Is America」のヴィデオが代表的ですが、その後の彼の活躍に対して何か感じることはありましたか?

ニック:素晴らしいと思うよ。ちょうどヒロにメッセージを送ったばかりだ。新作を彼にも送ったんだ。彼が評価されるのを見るのは嬉しいよ。低予算のローラースケートのミュージック・ヴィデオから、『アトランタ』のような受賞歴のある作品を手がける、業界トップの監督になったわけで、本当にクールだ。思わず「俺の知り合いだよ」って言いたくなる感じだね(笑)。

Translated by Yuriko Banno

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