チェット・フェイカーが語る巨大な成功とその後の人生、イーノに通じる音楽創作論

シンプルでハッピーな新境地

―では、ニューアルバム『Hotel Surrender』について聞かせてください。パンデミック以前からアルバム制作をしていたとのことですが、それではこのアルバムのスタートのきっかけとなった出来事やアイデアはありますか? どのようなことがこのアルバムに影響を与えたのでしょうか。

ニック:パンデミック前からほぼ完成していたわけではないね。その前から取りかかってはいたけど、パンデミック中にも作っていた。半々、といったところかな。じつは、自分が住んでる家と違う場所にスタジオがあるのは『Built on Glass』以来はじめてのことだった。ニューヨークに移って以来ずっと、毎朝起きて出かける場所がなかった。2020年1月にマネージャーが見つけてきてくれた狭い空間でね。何かタガが外れたみたいに、毎日欠かさずそこに通うようになった。週末も。ときには1日3曲書くこともあった。音楽が滝のように流れ出した感じだった。何が出てくるか見てみる、という姿勢を貫いた。シンプルに聞こえるかもしれないし、実際そうなのかもしれない。長い間音楽を作る楽しみを忘れていた。アルバムが念頭にあったわけでもない。作品を作るつもりもなかった。ただ、毎日そこに通い、歌が自然と溢れ出た。そしたらパンデミックになって、自分とスタジオ以外すべてが奪われたんだ。スタジオは家の近くにあったから、たいていの日は家から歩いて行くことができた。外は誰も歩いていないし、安全だった。このアルバムを作るのに、完全に人通りが無くなったマンハッタンの街を歩いた記憶がいまでも甦るよ。いま思うと、本当に異常だった。ある意味、パンデミックによって、すでに向かっていたアルバムの方向性がより明確になった。不思議だけど、喜びに満ちたアルバムなんだ。ある意味、周りで起きていることから逃避して、音楽を通して喜びを見出すことができた。制作はパンデミックをまたいでいたわけだけど、パンデミックのおかげでより焦点を絞ることができたと感じるね。



―先行して発表された「Low」と「Get High」がアルバムの見事な導入になっていると同時に、「Low」はアップリフティングなフィーリングがあるのに対し、「Get High」がややメロウなトーンになっていて、タイトルと曲調にひねりがあるように感じます。何か、気分の極端な上下について考えるきっかけがあったのでしょうか?

ニック:あの順番でリリースするのは必然だったんだ。「Low」を出して、「Get High」を出さない手はないと思った。意図的ではないけど、双対性は自分がやることすべてにあると思っている。ふたつの名義、プロジェクトを持っているところからしてそうだね(笑)。矛盾するものを同時に抱えるのは、非常に人間的だと思う。自分がもっとも好きなジャンルであるソウル・ミュージックの多くは歌詞が物悲しいけど、音楽的には高揚感がある。それが自分にとってはもっとも人間らしく、人間のありのままの姿に思えた。何かを感じながら、同時に他の何かを求めて手を伸ばすことほど人間臭いものはないと思うから。経験があって、そこから教訓やメッセージ、結論がある。自分の気持ちにただ振り回されるのではなく、それを昇華する選択肢もある。まとまりのない答えになってしまってごめん。

―いえ、わかります。本作もそうですが、あなたの音楽ではつねに精神的な問いや内面的な探究が主題になっているように思います。そんななかで、本作で言えば「Peace of Mind」や「In Too Far」など、初期よりも落ち着いたトーンやフィーリングの楽曲が増えたように思いますが、このような変化はどうして訪れたのでしょうか。

ニック:初期よりも、落ち着いてると思うの?

―はい。

ニック:そう聴こえたなら嬉しいよ! ニューヨークに住んでると、昔やった音楽よりリラックスしたものが作れないんじゃないかって、いつも心配だったんだ(笑)。どうだろう……。人生で学んだことや、歳を重ねたことで、物事を抱え込み過ぎずにいられるのかもしれない。

―ちなみに新作に影響を与えた音楽は何かありますか。

ニック:2020年に一番聴いたアルバムはスライ&ザ・ファミリー・ストーンの『There’s a Riot Going On』だ。あれを繰り返し聴いていた。もう一枚よく聴いたアルバムがあって、2020年最も再生した回数の多いアルバムがT・レックスの一番有名なアルバム(註:『Electric Warrior』のことだと思われる)だね。

―アルバムにどんな影響を与えたと思いますか。

ニック:その辺はあまり考えないようにしているから、わからない。とくに今回は、余計なことを考えずに曲を書くことに集中したかったから。でも、どちらもハッピーなアルバムだと思う。シンプルでハッピーだ。『Hotel Surrender』も大半はシンプルでハッピーなアルバムだと思う。だから何らかの形で原型となっているのかもしれない。T・レックスにしても、スライ・ストーンにしても、どちらも少し気の利いたユーモアがある。少しふざけた感じというのか。自分のそういう面を少し引き出しているかもしれない。普段は見せていても、音楽では自分のそういう面を出したことがなかったからね。

Translated by Yuriko Banno

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE