チェット・フェイカーが語る巨大な成功とその後の人生、イーノに通じる音楽創作論

「身を委ねること」タイトルに込められたもの

―本作は、たとえば「Feel Good」で聴けるように、『Run Fast Sleep Naked』でも見られたようなストリングスのアレンジメントがさらに洗練されていますね。アレンジメントやプロダクションの面でもっとも意識したのはどのようなポイントですか?

ニック:今回のストリングスのアレンジをしてくれたのは、『Run Fast Sleep Naked』と同じジェイク・ファルビー(Jake Falby)だ。『Run Fast Sleep Naked』では、はじめてストリングスを使った。ニック・マーフィー名義のプロジェクトに関して言えることは、こっちからあえて指示を出さず、他のひとのエネルギーや影響をそのまま受け入れる。あのプロジェクトでは、ひとに「こう弾いてくれ」といったことを言わないようにしている。それに対して本作では、メロディーを口ずさんだものをジェイクに送って、それを演奏したものを返してもらう、というやり方をとった。それに加えて、コロナ禍もあって、ほとんどがメールでのやりとりだったから、その場の思いつきやノリを大事にするというよりも、やることを明確にして臨んだというのもあった。その違いはある。『Built on Glass』以来はじめて、自分がエンジニア、プロデュース、作詞作曲、レコーディング、演奏のすべてを行なったことで、アレンジといった部分でも、より意識を向けて取り組んだんだ。



―その「Feel Good」はちょっとディスコ的なところもありますし、この曲や「Get High」におけるグルーヴやスローなファンクネスはどこから来たものなのでしょうか?

ニック:今回のブルースっぽい、ファンキーなピアノは昔からずっと弾いていたんだけど、曲にしたことがなかった。なぜかはわからないけど、これまでやったことがなかった。ベーシックというか、あまりにシンプルで、ピアノを弾くと自然に出てくるものだからこそ、避けたのかもしれない。複雑じゃない、というんでね。初期の頃は、複雑なものが質の高いものだと思っていた。だから複雑さや濃度を求めた。でも『Hotel Surrender』というタイトルからもわかるように、本作では何も求めていない。「これ、気持ちいいな」と思えば、それに従うだけ。そこから来てるんだと思う。影響に関して言うと、さっきも話したようにスライ&ザ・ファミリー・ストーンをひたすら聴いていたからね。スライ・ストーンは最も好きなヴォーカリストのひとりで、大好きだ。彼の音楽は本当に最高だ。制作中にたくさん聴いていたのは間違いないから、いまきみが挙げた曲ができたのも納得だよね。

―アルバム・タイトルの話が出ましたね。「Surrender」というのは、ブライアン・イーノもよく口にする言葉ですよね。「身を委ねること」はあなたにとってどのような状態を指すものでしょうか?

ニック:うん、「人間は身を委ねることを求めている」と語っているイーノのインタビューを読んだことがある。いつの間にか、自分もそれに倣っていたのには気づいていなかったよ。自分にとっては、創作する過程で思考力に頼らないことを指している。始めた頃は深く考えたりしていなかった。自分でも何をしているのかわかっていなかったから。好きに組み立てていき、それが気持ちよかったんだ。そこから自分のやっていることを少し把握できると、思考が間に入ってくる。さらに、少しでも成功しようものなら、周りから「最高だ」「素晴らしい」と言われ、インタビューの中でも自分がやったことを言葉で説明しなきゃいけない。すると、自分がどうやって音楽を作っているのかを把握して、わかって作ってたんだって思いこむようになる。でも実際のところは、人間というのは、自分自身を理解するために作品を創るわけで、理解できているから創るわけじゃない。何か腑に落ちないものがあって、その未知のものをもとに創作をする。あとになって「なるほど、そういうことだったのか」とわかるわけだ。

いま、こうして話をして、ようやく『Hotel Surrender』でやろうとしたことが見えてきている。創っている最中に、壮大な構想があったわけじゃない。創ることにただただ夢中だった。ひらめきと意識的に何かをやるのは別物だ。何かに身を任せるしかないんだ。少なくとも創作過程においては、そういう状態を指す言葉だと思っている。自我や自分のアイデンティティを放棄して、「この音楽のために自分は何ができるだろう」「この曲をあるべき姿にするには何をしてあげられるだろう」という向き合い方をするわけだ。「自分が何を作りたいか」「自分がどうしたいか」ではなく、「その曲がどうしたいか」「そのために自分に何ができるか」が重要なんだ。そういうふうに考えられれば、あとは簡単だ。曲が自然と形になっていく。難しいのは、降伏し(surrender)、身を任せる部分だ。面白いことに、それは音楽だけに当てはまることじゃない。生き方や目の前の現実との向き合い方にも言えることで、「ときどきこんな気持ちになる」といったことを受け入れることだったりする。例えばフラストレーションを感じた時、それをそのまま受け入れることで、余計なフラストレーションをさらに抱え込まなくて済む。どんなときでも、目の前の現実に身を委ねることで、喜びや音楽や光が自分に届く隙間を作ることができた。結局は、受け入れることが大事なんだ。それが難しいときだってある。自分の思い通りにならないことだってあるからね。それを受け入れるのは難しい。でも、何が言いたいかというと、目の前の現実を拒むのではなく、受け入れることで、はじめて状況を良くすることができるんだ。そして音楽だとそれを実践しやすいことがわかった。ニューヨークの街中で実践しようとしてもなかなか難しいからね(笑)。


Photo by Willy Lukaitis

―結果としてあなたは名義をふたつ持つことになりましたが、どれが何というのは自分のなかでわかるのでしょうか。

ニック:本作に関して言うと、そもそもアルバムを作ろうとは思っていなかったからね。去年の5月頃だと思う。できた曲をすべてコンピュータのプレイリストに入れておくんだけど、それを見て「これ、アルバムじゃん」と驚いたのを覚えている。穴埋めの曲が一切なく、どの曲も伝えたいことが明確だ。と同時に、「これはチェット・フェイカーのアルバムだ」ってことにも気づいた。ソウルやR&Bの影響が出ていて、レコーディング/プロダクションがきちんとされた作品だ。比較的自由な楽器編制や作風とは違ってね。だから、自分で決めたやったことではなく、音楽が代わりに決めてくれたんだ。僕が唯一下した決断は、これを世に出すかどうかだ。これまで僕が下してきた決断の根底にあるのは、「できる限り多くみんなと分かち合う」という考えだ。だから決断を下すまでもなく、「チェット・フェイカーのアルバムができた。自分にとってはつらい時期を乗り越えるのに、元気をくれた作品だ。もしかしたら同じように、ひとに元気を与えられるかもしれないから、みんなにも聴かせる責任がある」と感じたんだ。自然な成り行きでこうなったね。

―そのことが今後のキャリアや創作に影響を与えることはありますか?

ニック:まったく別のプロジェクトだと思っている。じつはもうひとつ別のプロジェクトも今年の後半に発表する予定だ。自分的には、ブルース・ウェインとバットマンのようなものだと思っているんだ。それぞれに存在意義がある。でもって、陰と陽のように、重複することはなく、どちらか一方になる。さっきも話したように、ニック・マーフィー名義の作品というのは、チェット・フェイカーではできないと感じたことをやるためのものだった。いまのところはそれで上手くいってる。お互い影響し合っているしね。『Hotel Surrender』は『Music for Silence』がなければ生まれなかった。でも、『Music for Silence』をチェット・フェイカー名義で出すことは考えられなかった。誰も納得しなかっただろう。複雑で、濃密な音楽を人びとに聴いてほしいと思ったら、それはニック・マーフィー名義で出すだろう。シンプルで自由に作る音楽にしてもそう。一方で、「出来上がった世界感があって、それをみんなにも聴いてもらいたい」と思ったら、それはチェット・フェイカー名義で出すだろう。チェット・フェイカーは、聴き手に何も要求せず、与える音楽だ。聴き手がいることを意識していて、「これを聴いていてほしい。きっと気に入ってくれるだろう」という音楽で、「1時間即興で演奏するピアノを我慢して聴いてくれ」という音楽ではないんだ。

―パンデミックによって、アルバムを出してワールド・ツアーやフェス出演を行う……というような、ミュージシャンの決まったルーティンもいったんリセットされました。そんななかで、音楽家として、いま自分が心からもっとも望んでいること、やりたいことは何ですか?

ニック:ツアーから離れた生活に慣れ過ぎて、いまやツアーにまた出られるのか不安なくらいだね(笑)。どうすればいいのか忘れてしまったくらいだ。一方で、世界を旅できることが恋しいのも事実で。そのどっちもある。ツアーに出たい自分もいるし、ひたすら音楽作りに専念してそれをみんなに聴かせたいと思う自分もいる。1本ライヴをしたら、すぐに勘を取り戻すと思う。でも、いまは正直不安でいっぱいだ。チェット・フェイカーのライブとなると、5年以上やってないわけだから、盛り上がるだろうね。歌詞を忘れがちだから気をつけないと(笑)。




チェット・フェイカー
『Hotel Surrender』
発売中
配信・購入:https://silentrade.lnk.to/hotelsurrender09

Translated by Yuriko Banno

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