チェット・フェイカーが語る巨大な成功とその後の人生、イーノに通じる音楽創作論

ニック・マーフィー名義での実験

―ニック・マーフィー名義での『Run Fast Sleep Naked』はプロダクションの実験が目立った作品でしたが、あなた自身は、あの作品で達成したことは何だったと思いますか?

ニック:あの作品は、まさに実験をいろいろしたくて作った作品だった。チェット・フェイカー名義のプロジェクトはシンプルでわかりやすく、完成された世界感がある。いい意味でね。どういうことがしたいか明確にあった。22歳のころに始めて、24、5歳のときに作品が世に出て、自分でも自分がどんな人間かわからないのに、周りのひとたちは「こうあるべきだ」ってわかっているようだった。だから、他を探求する必要があった。自分がどんなものが好きで、好きじゃないのかって。誰にも邪魔されずにそれができる受け皿が必要だった。当時は、チェット・フェイカーのプロジェクトに自分がやりたいことを見出すことができなかった。なぜなら、プロジェクトがいつの間にかひとり歩きして、いろんなひとが「チェット・フェイカーがどうあるべきか」って考えを持っていて、そのなかで、違うことをあれこれ探るのは難しいんじゃないかと感じた。すでに骨組みが出来上がってしまってたから。本名で作品を出せば、何でもできるんだと思えて、ワクワクした。で、それを実践した。

『Missing Link』EP(2017年)は、ダンス寄りで、エレクトロニックだったし、『Run Fast Sleep Naked』ではあらゆることを試した。加えて『Music for Silence』は1時間にも及ぶ即興のピアノ音楽だ。深く考えずに、本能の赴くままに、どんな方向にだっていける自由があった。自分本位だったかもしれないけど、聴き手に要求する音楽もあれば、聴き手に与える音楽もあると思う。しばらくの間、聴き手に要求をする音楽を作る必要があったんだ。


『Run Fast Sleep Naked』収録曲「Sanity」

―いまちょうど話が出ましたが、瞑想のためのアプリ「Calm」で発表されたアンビエント作品『Music for Silence』もあなたの音楽性の幅の広さを示すものでした。あの作品はどのようにして生まれ、あなたに何をもたらしたと思いますか?

ニック:あのアルバムは、検討を重ねて作ったものではない。当初は世に出すつもりもなかった。音楽をプレイしたいという欲求はあったから、いろんなものと距離を置いて、自分だけの空間が必要だった。ニューヨーク州北部にある古い教会を見つけて、いまそこは教会としては使われてないんだけど、その持ち主の女性が500ドルで1週間滞在させてくれたんだ。そこに寝泊まりをして、一日中ひたすらピアノを弾いて過ごした。朝起きて、昼まで弾いて、ランチを食べたら、また夕暮れまで弾いて、そこからさらに弾くこともあった。そこで何時間にも及ぶ音楽を録音した。5日分の音楽だ。浄化作用のようだった。本当に久しぶりに、自分のなかから湧き出てきたものをそのまま音楽にした。音楽に概念的なものを焼きつけるのではなくてね。ある意味、自分が得た一番大きな音楽的な教訓は、肉体性と臨場性に身を完全に委ねて、自分がやっていることを考えない、分析しないことだった。面白いことに、音楽的には全然違うけど、『Music for Silence』があったからこそ、『Hotel Surrender』が生まれた。構想を駆使するのではなく、「起こるべくして起こるものを大切にする」という意味でね。

―あなた自身は瞑想することの重要性を感じますか?

ニック:そうだね。瞑想は毎日している。2019年以来、瞑想をしなかった日は2日だけで、その2日はあまりいい日ではなかった(笑)。始めたきっかけは、『Built on Glass』が成功したころにまで遡る。生活がひっくり返されたようなものだったからね。



―あなたの楽曲は各種のストリーミング・サービスにおいて、チルアウト系のプレイリストでとても人気があります。ただ、あなた自身は、現在のプレイリスト文化にどのような意見を持っていますか?

ニック:いまの時代がそういう時代だってことだよね。自分の気持ちを反映する形で音楽が聴けるのはいいことだと思う。でも僕は、昔からアルバム派だ。アーティストがアルバムを発表したら、それを聴きこんで、その作品の世界観に没頭できるのが好きだった。さっきの話に戻るんだけど、聴き手に要求する作品と、聞きたいものを与えてくれる作品があるわけで。プレイリストは、本質的にはラジオのようなものだ。音楽が、ある時間だったり、ある場所やシーンと密接に関係していることを我々が理解し始めているのは興味深い。ただ「これはいい音楽、これはダメな音楽」という線引きではなく、「これはこういうときにリラックスさせてくれる」「これは元気にしてくれる」「これは運動する時にいい」という。そんなプレイリストのチルアウト系に入れてもらえることは光栄だ。ひとをリラックスする役に立っているってことだからね(笑)。

Translated by Yuriko Banno

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