エルヴィス・コステロが語る、キャリア屈指の最新作と「過去に縛られない」自身の歩み

言葉と即興の新しい挑戦

―あなたは「ザ・ラスト・コンフェッション・オブ・ヴィヴィアン・ウィップ」のために、ショートストーリーを書いたと言いました。歌詞についても自然発生的な成り行きを重視しているのでしょうか?



コステロ:そういう時もある。「ザ・ワールウィンド」や「バイライン」などがそうだ。あまり長い時間を掛けず、短時間で書いた。「ザ・ラスト・コンフェッション・オブ・ヴィヴィアン・ウィップ」は特にそうだった。ロンドンに着いてレコーディングのためにヘルシンキへ出発する前に曲が送られてきた。スティーヴとミュリエルから曲を受け取った時、僕にはヴィヴィアン・ウィップのストーリーのアイディアがあった。この曲はぴったりだった。フレームワークができあがれば、あとはストーリーを語る言葉選びだ。

しかし「レディオ・イズ・エヴリシング」の場合は、全く違った。マイケル・レオンハートが送ってきた曲は、Aメロ、Bメロといった構成がなく、切れ目のない楽曲だった。僕は何度も聴き返した。彼が送ってきた時点で、レコーディングはかなり進んでいた。僕はノートを広げて、いつもとは違うやり方で書いた歌詞を眺めた。書いた歌詞の長さを調整し、楽曲にはめ込んでいくのが通常のやり方だ。

そして曲を流しながら歌詞を読んでみて、レコーディングに入った。どこから始めてどこで終わるかは、楽曲が教えてくれる。僕は歌うのではなく、語りかけているんだ。ある意味で最終的に普通の楽曲に仕上げようとしていたら、その代償として僕の理想としていたイメージが損なわれていたかもしれない。

だからこれは、2つの意味で「普通とは違う」曲だ。ひとつは、歌詞の長さが1行ずつ全て不規則な点だ。僕は曲に合わせているだけで、メロディは付けていない。朗読だ。このようなやり方は初めてだった。ただ、「レヴォリューション#49」でも全く同じ方法を採っている。自然の流れに任せた即興で、オープニングのテーマだけをトランペット奏者へ伝え、彼が蛇のような形をした中世の楽器セルパンを演奏した。アルバムの冒頭で聴けるこの曲は、僕が演奏を先導している。上手い言葉が見つからないが、指揮者のような感じだ。僕の場合はもっと情熱的だった。ただ「語って」いた訳ではない。狂ったように両手を振り回し、何かに促されてノートに書き留めた歌詞を見ながら語った。僕は芝居がかった朗読はしなかった。ただただ無表情に淡々と読んでいった。楽曲がそのようにさせたのだ。

だからこの2曲は、即興で作られた楽曲だと言える。音楽に促されて出てきた言葉を書き留めて、言葉と音楽と演奏方法とのつながりを意識した。「レヴォリューション#49」の場合は特にそうだ。このようなやり方は初めてで、僕にとっては完全に新しい経験だった。

マジックのような話に聴こえるかもしれないが、聴き返してみて僕は、「これはインストゥルメンタルにすべきか、それともこのまま話し続けるべきだろうか? 感傷的な最後が気に入った。愛は私たちが救える唯一のもの、というフレーズも好きだ」と思った。僕はセバスチャンに「この曲はアルバムの最初か最後にしよう」と提案した。彼は最初がいいと言うので、「OK、君がいいと思うならそうしよう」となった。彼の顔も立てる必要があるからね。上手く行って良かった。



―とても印象的なアルバムの始まり方です。「レディオ・イズ・エヴリシング」と並び、アルバムの中で最もパワフルな2曲だと思います。

コステロ:邪魔になる歌を排除したからパワフルだ、と言っているのと同じだな。その通りだ。これからはずっと歌わずに語ろうかな。というのは冗談だ(笑)。つまり、目新しかったということさ。もしも僕がずっとあのやり方をしていたとすれば、それはただの平凡な方法に過ぎなかった。でも実際は初めてだったから、斬新で奇抜に感じられたんだ。僕にとってはハプニングだった。「普通じゃないから、レコーディング中の僕の姿を見るな」という感じさ。ずっと歌ってきたが、あのような朗読には慣れていない。マイケルとの2曲目の「ニューズペーパー・ペイン」でいつものやり方に戻ったはずが、なんだかいつものやり方との中間のように感じた。「ヘティ・オハラ・コンフィデンシャル」もむしろそうだった。歌っている訳でもなく、語っている訳でもない。ハイピッチの語り口調か、あるいは叫び声だな(笑)。

でもロックンロールの世界には、そのような音楽がたくさんある。チャック・ベリーがその代表だ。「ヘティ・オハラ・コンフィデンシャル」の“On the night he came home from the debutante ball, passed out drunk on the bathroom floor”という箇所などは、チャック・ベリーのリズミカルな歌い方そのままだ。楽曲がチャック・ベリー風だという訳ではなく、マシンガン調の歌い方が似ているということさ。長年の間に何度かやったことがあるが、完成してみると全く違ったものになった。

Translation by Smokva Tokyo

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