30年ぶりのアポロ・シアター凱旋、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックの過去〜現在

「関係のダイナミクスは『ハンギン・タフ』によって変化した」とワールバーグが説明する。「俺たちが自分の役割にもっと責任を持つようになった。そのおかげでオズモンド風、ジャクソン風、ニュー・エディション風の楽曲に俺たちを当てはめるモーリスのやり方が鳴りを潜め、俺たちに合う楽曲で俺たちらしい音楽をやるようになったのさ」。スターは自分が鍛えているニュー・キッズたちにトップ100以内に入ることを求め、ウッドにはレコーディング技術を教えた。キッズとバスケットボールを一緒にやり、「お前たちは絶対有名になる」と言い続けた。「彼は俺たちの言葉をしっかりと受け止めて、俺たちを信用してくれた」とワールバーグ。

「でも、その後で俺たちが大成功を収めたとき、彼は俺たちの手綱を少し締めて、自分のヴィジョンに合う方向へ持って行きたかったんだと思う。そうだな、俺たちがあるイベントに行ったとする。彼も当然同行するわけだ。そこに他の有名人がいたりすると、彼はその有名人に歌を挑むんだよ。ルーサー・ヴァンドロスにすらやっていた! 本当にクレージーだったけど、そのクレージーさが偉大でもあったのさ」。ワールバーグのこの言葉にジョーダン・ナイトも同意して「天才と狂人の間には微妙な境目があるけど、彼はその両方にまたがっていた。俺たちは天才としての彼を見ていたんだ」と続けた。

10月7日のコンサートで、スターからのお祝いメッセージが舞台上のスクリーンに映し出され、メンバーは満員の会場を照明で明るく照らしたあとFaceTimeでスターにその様子を見せた。「俺たちを最初にここに連れてきたのが彼なんだ」と観客に言った途端にワールバーグは涙を流し、「彼が俺たちをストリートから救い出して、チャンスをくれた張本人だ」と続けた。

ワールバーグによると、ニュー・キッズの物語はアメリカン・アイドルよりもロッキーに近いらしい。1988年にブーイングでステージを降ろされていたら「俺たちの一人が即座に『イチ抜けた』と言っていたと思う」とワードバーグ。しかし、ハーレムでの夜に受け入れられたことで、彼らは波に乗ったのである。多くの人がニューキッズの長期にわたる成功は、耳馴染みのいいフックと最適のマーケティングが合わさって起きた完璧な結果だと思っている。しかし、ニュー・キッズ物語には、メンバーや関係者との化学反応と労働者階級ならではの気概という要素もあるのだ。「俺たちは立ち上がってとにかくやってみるという世代なんだ」とマッキンタイア。1980年代に彼らのブッキング・エージェントを務めたジェリー・エイドの言葉を借りれば「彼らの心も、彼らの脳も、彼らの根性も、絶対に諦めなかった」のだ。

その後、多数のアルバムがリリースされたが、『ハンギン・タフ』は彼らのアルバムの中で最も生命力が強く、今も売れ続けているアルバムで、8回プラチナに輝いている。

「マイケル・ジャクソンと自分たちを比べる気なんてサラサラないけど、マイケル・ジャクソンだって一番有名なアルバムが『スリラー』になるらしい」とワールバーグが言って続けた。「それが彼の代表作。もちろん『オフ・ザ・ウォール』のほうが傑作だ。ニュー・キッズの他のアルバムにもっと良い曲があるかと聞かれたら、『たぶんある』と答えるだろうね。『ハンギン・タフ』よりも良い曲を書いて、上手く歌えた時期というのがあったと思う。でも『ハンギン・タフ』が俺たちの代表作なのさ。俺たちをどんなふうに記憶してもらいたいかなんて、俺たちが決める気はない。でも、あのアルバムが代表作で、あの特別な時代の俺たちの活躍が記憶に残るなら、俺たちってマジでラッキーだと思う。そうだろ?」

※ライターのレベッカ・ウォールワークは『Hangin’ Tough by New Kids on the Block(原題)』の著者



Translated by Miki Nakayama

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