「ファブ・フォー」生みの親、ビートルズ広報担当トニー・バロウ逝去、享年80歳



1962年、ビートルズはEMI傘下のパーロフォン・レーベルと契約。バロウはエプスタインが設立したNEMSエンタープライズの広報担当責任者に就任した。音楽ジャーナリズム業界に幅広いネットワークを持つバロウは、ビートルズの初期のプレスリリースを、当時持っていた多くのコネを通じて配布した。あるプレスリリースの中でバロウは、バンドを"ザ・ファブ・フォー"の愛称で呼んだ。

バロウは、英国内で発売されたビートルズ初期のアルバムとEPのライナー・ノーツを執筆している。また、ファンクラブの会員向けに毎年クリスマス・アルバムを制作することを提案したのもバロウである。ポール・マッカートニーは、1966年8月29日にサンフランシスコのキャンドルスティック・パークで行われたビートルズのラスト・コンサートの録音を、バロウに依頼した。この音源は正式にリリースされなかったものの、後年海賊版が広く出回っている。

1967年にエプスタインが死去した後、ビートルズは自らをマネジメントするためにアップル社を立ち上げた。一方バロウはNEMSを離れ、両者は別々の道を歩むこととなった。後にバロウは自らの広告会社トニー・バロウ・インターナショナル(後のトニー・バロウ・マネジメント)を設立し、MCAレコード所属のアーティストやザ・キンクス、ビージーズなどの代理人を務めた。

1980年、バロウは広告ビジネスの一線から退き、ライターや編集の仕事に戻っていた。2005年、ビートルズの広報担当時代を描いた回顧録『ビートルズ売り出し中! PRマンが見た4人の素顔(原題:John, Paul, George, Ringo & Me: The Real Beatles Story)』を出版している。



バロウには妻と2人の息子マイケルとマークがいる。

Translation by Smokva Tokyo

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