ビートルズに"ファブ・フォー"の愛称を与えたバロウは、伝説のデッカ・レコードのオーディションをお膳立てし、バンドのラスト・コンサートを録音した人物。
ザ・ビートルズのデビュー当時の広報担当者で、世界のロック・バンドとしての地位を確立したキーパーソンであるトニー・バロウが2016年5月14日、英ランカシャー州モアカムで逝去した。ニューヨーク・タイムズ紙が報じた。享年80歳。バロウは、"ザ・ファブ・フォー"というビートルズの象徴的な愛称の名付け親でもある。
バロウ逝去の第一報は、ビートルズ研究家でバロウと数十年の親交があった作家マーク・ルイソンが伝えた。
バロウが17歳の時、リバプール・エコー紙に"ディスカー"のペンネームでアルバムのレビューを掲載し始めたことをきっかけに、ライターとしてのキャリアをスタートさせた。1961年12月、ビートルズのマネージャーだったブライアン・エプスタインがバロウに対し、"オフ・ザ・レコード"と題したバロウの紙面コラムに当時まだ無名だったバンドを取り上げてくれるように依頼した。しかしその時バンドには正式にレコーディングした曲がなかったため、バロウは依頼を断った。そこで後日エプスタインはバンドのライブを録音し、バロウに聴かせた。音質は悪かったもののバロウはビートルズの演奏に魅了され、有名なデッカ・レコードのオーディション実現に一役買うことになる。デッカ・レコードで録音された音源のライナー・ノーツはバロウが書いている。