伝説の大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントの知られざるトリビア

1989年の「レッスルマニアV」に参戦したアンドレ・ザ・ジャイアント(Photo by Jeffrey Asher/ Getty Images)

一晩で106杯のビールを飲み、慢性的な痛みにも治療を拒んだ、プロレス界の伝説=アンドレ・ザ・ジャイアントの素顔を捉えたテレビ映画が米国現地時間4月10日に公開。その内容について触れてみる。

大げさに振る舞うことこそがプロレスを大舞台での真剣勝負というファンタジーに仕上げてくれている。しかし偉大なる伝説の一角を担ったアンドレ・ザ・ジャイアントにあってはこの魅惑こそが現実だった。この火曜日の夜に先行公開された、

ジェイソン・ヘアーが監督したHBOのドキュメンタリー『アンドレ・ザ・ジャイアント』では、プロレス界の象徴的スターの名声、謎めいた実生活、圧倒的な力とその裏にある痛みを描いている。取材相手は同じくプロレス界の伝説たるハルク・ホーガン、リック・フレアー、ビンス・マクマホン、さらにはビリー・クリスタルやロビン・ライトなどのハリウッドのスターたち、そしてアンドレの家族や友人たちにも及んでいる。

アンドレ・ザ・ジャイアント(本名:アンドレ・ロシモフ)、1970〜80年代の世界のプロレス界において「大巨人」の名をとどろかせた人物。彼は生涯を通じて文字通り成長を続けた。先端巨大症の結果である。ロシモフの身長は7フィート4インチと記録され体重は520ポンドとされている。

「CGI以前には、アンドレ・ザ・ジャイアントただ一人しかいなかったんだ」とベテランのプロレス研究家デビッド・シューメイカーはこのドキュメンタリー作品で、こう説明している。このドキュメンタリーから分かる簡単なトリビアをローリングストーンではまとめてみた。



・アンドレが急速に成長し始めたのは15歳になってから。

監督のジェイソン・ヘアーは大巨人の10代の内面にフォーカス。彼が年相応の背丈だった子ども時代の写真も登場する。「彼はかわいらしい子どもでした」とアンドレの兄、アントワーヌ・ロシモフはこの作品の前半でこう語っている。「普通だったんです」と。しかし15歳になって全ては変わってしまった。アンドレの他の兄弟、ジャックは母親が彼の成長が止まらないのを心配していたのを回想する。

また、ロシモフは先端巨大症への治療は一貫して拒否。かつてアンドレの踝(くるぶし)の骨折の治療を担当したハリス・エット医師がアンドレのサイズに関する医学的推定を示している。「彼の踝(くるぶし)の骨は普通の人の膝の骨ほどの大きさがあったんです」とエットは語る。エット医師はアンドレの症状は治療可能なものではあったが、意味のないことはしたがらないとして治療を拒んだという。つまり、選手としての個性を歪めてしまう可能性をアンドレ自身が危惧したのだ。だが、そのせいで肉体的な痛みや苦しみは増すばかりだった。

アンドレの映画『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987年)で共演したケイリー・エルウィスもその痛みこそが、彼の酒浸りの原因になったと見ている。「彼は痛くて飲まずにはいられれなかったの」と。

・アンドレは従来のプロレスの縄張りのフォーマットを乗り越えた、史上初めての国民的プロレススターの一人だった。

元プロレスラーで解説者のジェリー・ローラーとプロレス・ジャーナリストのデイブ・メルツァーが、プロレス界の縄張りについて語っている。フランス生まれのロシモフが欧州から米国にやってきた当時、北米には32もの異なる縄張りが存在していたとローラーは推定している。アンドレは各地域で2カ月間の興業をこなしては転戦していた。「当時、この業界にはアンドレ以外には完売間違いなしのスター選手はいなかったんだ」とローラーは語る。ただ、それゆえにアンドレは絶え間なく移動せざるを得なくなったのだ。

Translated by LIVING YELLOW

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