伝説の大巨人、アンドレ・ザ・ジャイアントの知られざるトリビア

1989年の「レッスルマニアV」に参戦したアンドレ・ザ・ジャイアント(Photo by Jeffrey Asher/ Getty Images)



・北米でのアンドレ・ザ・ジャイアント人気の熱は当初あっさり収まってしまった。

当初はロシモフを一目見ようと会場に群衆が列を成したものだが、いったん本人を見てしまうと、繰り返し見ようとする魅力はまだ彼にはなかった。ビンス・マクマホン・シニアの助力で、アンドレは当時の北米各地のプロレス興行にピンポイントで参加できた。その結果、アメリカ国内および世界中でも名声を得た最初期のプロレスラーになれたのだ。

・アンドレは各地の地元マスコミを通じてお茶の間の人気者になった。

1970〜80年代、アンドレはアメリカ各地のローカルニュースによく出演した。マスコミ関係者と握手する際、手を強く握り締めてはその痛みに相手の顔をしかめさせたり、2000ポンドのバーベルを軽々と上げたり、インタビュアーに自分の巨大な衣装を着させたり、ファンに自分を売り込む術を彼は知っていたのだ。中でも人気番組『60 Minutes』で彼はこうも言っている。「(この身体は)神さまが俺の生計を支えるために下さったものだ」と。

・アンドレのおならは文字通り危険物だった。

ロシモフが町から町への旅暮らしのなかで、その巨大な身体が収まるクルマが用意できるかどうか、また飛行機の座席一列が確保できるかどうかで、悩まされていたのは有名な話だ。巡業ではプロレスラー仲間と移動する。そのときに、大巨人の強烈なおならに皆が悩まされたという。かつてのプロレス・パーソナリティ、ジーン・オーカーランドは、アンドレがやらかす前にはいつもその左足を上げて見せ、それが周りへの一種の合図になっていたことを回想する。ハルク・ホーガンは、アンドレがある飛行機の中で盛大にやらかしてしまったときの話をする。パイロットたちや乗組員がパニックに陥り、外の空気を求めたそうだ。

・アンドレは格下扱いされることを嫌った。

アンドレはいつも大物としてふるまうことが期待されていたと、ローラーもヴィンス・マクマホン(ヴィンス・マクマホン・シニアの息子)もホーガンも語っている。そしてアンドレが、”マッチョマン” ランディ・サベージやアンドレと同じ巨大レスラーのビッグ・ジョン・スタッドとの間に抱えていた問題を指摘。

当時、スタッドはこのフランスの大巨人にしか許されていないようなこと、例えばトップロープを一跨ぎしてリングに上がることなどをしては、アンドレを怒らせていた。「アンドレは誰が本当のボスなのかを見せつけたかったんだ」とマクマホンは語る。アンドレとのハードな試合の後、スタッドがあわててロッカールームに駆け込んできてスタッフと一緒に消えようとした。マクマホンがスタッドにどこに行くのかと聞くと、スタッドはすぐ出ていくと言って、こう答えたという。「彼に殺されちまうよ!」と。

Translated by LIVING YELLOW

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