プロト・パンクの代表的存在、スーサイドのアラン・ヴェガ逝去、享年78歳

ヴェガはその後、『コリジョン・ドライブ』(1981年)、『サターン・ストリップ』(1983年)、『ジャスト・ア・ミリオン・ドリームス』(1985年)の3枚のソロアルバムを発表。その方向性はスーサイドとは大きく異なり、作品ごとにロカビリー色を強めていった。1988年の3作目『ウェイ・オブ・ライフ』でスーサイドとしての活動を再開させた2人は、その後『ホワイ・ビー・ブルー』(1992年)と『アメリカン・シュプリーム』(2002年)をそれぞれ発表している。またヴェガは積極的にコラボレーションを行い、リック・オケイセク、ミニストリーのアル・ジュールゲンセン、リディア・リンチ、ジェネシス・P・オリッジ、そしてヴェガの妻であるリズ・ラメール等と作品を共作している。

1994年、ヴェガはビッグ・スターのアレックス・チルトン、そしてシンガーソングライターのベン・ヴォーンと共に『キュビスト・ブルース』を制作している。同作は1996年にヘンリー・ロリンズのレーベルである2.13.61からリリースされ、2015年に再発されている。

2015年のローリングストーン誌のインタビューで、ヴェガはロリンズとの出会いについて語っている。「実際に会う前はこう思ったよ。『このスキンヘッドのナチ野郎が、一体俺に何の用があるっていうんだ?』」ヴェガはこう続けている。「でも俺の家にやってきた彼はまるで別人だった。ジョン・コルトレーンの本を脇に抱えてて、どこかの大学教授かと思ったよ」

ロサンゼルスのKCRWでロリンズがパーソナリティを務める番組は、日曜の放送でヴェガの作品を集中的に取り上げるとしている。

またヴェガはビジュアル・アーティストとしても精力的に活動した。「アラン・ヴェガを特別な存在にしていたのは、何があっても自身のアートを徹底的に追及する姿勢だった。彼は情熱の赴くままに生きた」ヴェガの遺族によるコメントにはそう綴られている。「彼は何かを生み出すために生きた。アランは何十年にもわたって独創的な作品を発表し続け、世界はようやく彼に追いついた」

Translation by Masaaki Yoshida

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