セイント・ヴィンセントが語る孤高のアーティスト観、不条理だらけの人生を生きる理由

Photo by Alex Da Corte

セイント・ヴィンセント(St.Vincent)ことアニー・クラークが、通算7作目の最新アルバム『All Born Screaming』を発表。すべてのペルソナをはぎとった彼女の現在地に迫る最新インタビュー。

初めに映ったのは真っ黒な画面だ。「アーティストはカメラをオンにしない」とスクリーンに書かれている。アニー・クラークは普段からカメラの前に立つのだが、本当の姿を隠すことを好んできた。2007年からセイント・ヴィンセントという名の下にリリースしてきたアルバムごとに、ルックを一新し、様々な仮面をかぶり、神官から女帝、ロボットからロックスターに至るまでの役を演じ分け、アートの内なる核を隠してきた。「仮面をかぶった人は真実を語る。それなしでは、ほとんど語りはしない」と、かつてある人は言った。

2017年に自身のInstagramで、ピンクのミニスカートと半透明のラテックストップを着たセイント・ヴィンセントが、アルバム『Masseduction』に関する定型的な質問や、音楽界における女性の役割、ポップミュージックにおける政治の重要性などに答える皮肉に満ちたクリップを連投した。アニー・クラークとセイント・ヴィンセントは同一人物かと問われると、彼女は一呼吸置いて「正直なところ、本人に直接聞いた方がいい」と答えた。

前作『Daddy's Home』(2021)でクラークは傷ついたディーヴァとして姿を表わし、ブロンドのウィッグや神経衰弱の一歩手前で時おりつまずく姿は、ウォーホルのスーパースター、キャンディ・ダーリングやジョン・カサヴェテスの映画でジーナ・ローランズが演じたキャラクターを想起させた。70年代のクラシックロックに見せかけた彼女の歌は、2010年に4300万ドルもの株価操作の罪で懲役151カ月の判決を受けた父親の釈放に対する感情的な反応を間接的に伝えるものだった。

ほぼ同時期に、『The Nowhere Inn』という映画も公開された。クラークとキャリー・ブラウンスタイン(スリーター・キニーのギタリスト/ソングライターにして、コメディ・シリーズ『Portlandia』の主要人物の一人)が脚本を共作し、二人とも「もう一人の自分」を演じたーーブラウンスタインはセイント・ヴィンセントの「本当の私」を映し出すドキュメンタリーを制作しようと撮り始めるものの、実際のクラークがあまりにも平凡で、退屈で、オタク的な人物であることに気づき、映画をシンプルなコンサートフィルムに切り替えることを提案する。自尊心を傷つけられたクラークは、ステージの外でも自らが造り上げた人工的かつ流動的なステージ上のペルソナを体現し始めるように。彼女はブラウンスタインだけでなく観客も逃れられない鏡の迷宮へと導く、策略をめぐらす魅惑の女となる。最終的にブラウンスタインは、この“アーティスト/アートの人形”を、彼女の父が収監されている刑務所の外れの荒れ地へと連行する。「今、どんなふうに感じているのか教えて」とクラークに伝え、彼女の目隠しが外されると、目の前にカメラチームが構えていることに気づく。

ビデオ通話での取材に応じてくれたクラークは、少しのおしゃべりと再会の挨拶を経て、ついにカメラをオンにしてくれた。「まだゲームは終わってないよ!」とアニーが叫ぶ。彼女は黒ずくめの服を身に纏い、大きなサングラスで目を隠して、ロサンゼルスのオフィスで冷たい朝の光を浴びながら座っている。まるで『マルホランド・ドライブ』や『The Nowhere Inn』の一場面のようだ。




―それではアニー、どんなふうに感じているのか教えて?

セイント・ヴィンセント(以下、SV):私? 私自身のことについて? 今、どんな気持ちか話すべき?

―『The Nowhere Inn』のセリフですね。

SV:(笑)ああ、そうだった。あの時はそれが面白いと感じたの。他の人も面白いと思ったかどうかはわからないけど。



―今のリアクションはすごく面白かったです。映画の中でアニー・クラークはこの質問を受けてとても動揺し、やがてメロドラマチックにこう言いましたよね。「この世界が残酷で、痛みに満ちていて、ゴミだらけだってことは重々承知している。だから私は音楽を作っているの」って。そこに真実はあるのでしょうか?

SV:音楽を逃避(エスケーピズム)とは思っていない。少なくとも私にとってはそうじゃない。でも、私の音楽における自伝的な要素はそれほど大切ではないと感じている。アーティストとしての自分とプライベートな自分を切り離したいという個人的な願望がどうこうというより、そもそも相互に関係があるとは思わないんだよね。なぜなら音楽を作るとき、リスナーは自分たちの感情や経験をもって曲を完成させるから。私が曲を書いたときに何を考えていたか、どんな経験をしていたかなんて関係ない。曲が表現する経験——愛、喪失感、ハートブレイクなど——はすべて普遍的なものだから。だから、私が何を考えてたかは重要ではなく、それが聴き手にとって何を意味するのかが重要なんだと思う。

―となると、最新作『All Born Screaming』には、あなた自身のペルソナは存在しないのでしょうか?

SV:今回はそうですね。かつての私はペルソナという発想や、ロックスター神話の解体、さらにはインタビューという形式を解体することにとても興味があった。でも、少なくとも今のところ、それは以前ほど大事じゃない。私はただ、自分の頭の中にあるサウンドを反映した、感情的に生々しく原初的で、完璧なレコードを作りたかっただけ。何も分解していない、ありのままのもの。私の頭と心から鳴り響く音をね。

―それでも最新作には独自の美的コンセプトがありますよね。インタビューでも黒一色の着こなしでまとめていますし。

SV:ええ、黒と白がこの美的概念を形作っている。それに炎の色もね。




『All Born Screaming』ジャケット写真

―最初のシングル「Broken Man」のMVはまさしくそうですし、それがアルバムカバーのデザインにも反映されていますよね。あなたは白いシャツに黒いスカートを着て、炎に囲まれていた。まさかピンク・フロイドの『Wish You Were Here』を意識していたわけではないですよね?

SV:(笑) 前作のほうがそうだったかもね。もともとのアイデアは最初、アレックス(・ダ・コルテ:(ベネズエラ系アメリカ人のコンセプチュアル・アーティスト、「Broken Man」のMV監督)と一緒にマドリードのプラド美術館で、ゴヤの「黒い絵」を見に行ったときにひらめいたんだ。「ああ、これだ! これこそが求めていたエネルギーだ」と思った。このレコードのエネルギーは、黒と白のようにはっきりしている。生か死のどちらかで、その中間というものは存在しない。そして、その間には炎がある。それが生きるということ。炎には多くの意味がある。再生、灰から蘇る不死鳥。自己犠牲の象徴でもある。火種がなければ炎は起こせない。火はすべてを司るもの。あらゆる創造と破壊が火に含まれている。それこそが(このアルバムの)エネルギー。それは太陽を喰らう土星であり、魔女のエネルギーであり、何もかもすべて。

Translated by Jennifer Duermeier

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE