フジロックがグラストンベリーに学んだ「フェスのあるべき姿」 アジカン後藤正文が花房浩一に訊く

グラストンベリーとフジロックの関係、フェスのあるべき姿

―ここからはグラストンベリーとフジロックの関係について訊かせてください。

花房:ぼくの書いているものに影響を受けた大久保青志くん(『ロッキング・オン』創刊メンバー、1989年に東京都議会議員に当選)と、日本のミュージシャンが政治的なことを発言できる場を作るために、反核・脱原発を訴えていく「アトミック・カフェ・フェスティバル」を1984年に開催したんです。そこで中心を担っていたのが日高(正博:スマッシュ代表)だった。

あのときは政治的なスタンスを前面に出したけどうまく機能しなくなり、運動も自然消滅していったわけだけど、福島の原発事故が起きたときは大いに反省させられました。もっときちんと運動しておけばよかったなと。

―フジロックのルーツ、社会問題にコミットしてきた背景として「アトミック・カフェ・フェスティバル」があったと。日高さんがグラストンベリーを初めて訪れたのは1987年だったそうですね。

花房:ぼくは初めて行った翌年の1983年からライターとしてグラストンベリーを取材するようになったんですが、その年に客として来ていたクボケン(久保憲司)と知り合い、1986年には彼をカメラマンとして雇って同行してもらいました。で、同じ年にミッチとクボケン経由で知り合い、その翌年から日高が来るようになった。そこから彼は「日本でこういうフェスがやりたい」と考えるようになったんだと思う。そして、いろんなところをロケハンしながら10年間を過ごし、1997年に始まったのがフジロックだった。

日高は「俺が何をやりたいのか一番よくわかってるのはお前だから手伝え」って。それで「フェスとは何か」というのを、今度は書くことじゃなくて現場を作ることで伝えていけたらと思ったんです。ぼくがグラストンベリーで体験したことを踏まえて、「これが自分たちのフェスだ」って言えるものを一緒に作っていこうと。

ただ、ぼくはスマッシュの社員になったことはなく、ずっと日高と仕事しているだけ。ぼくが主宰を務めるfujirockers.orgも、フジロックを愛する人たちのコミュニティですけど、スマッシュからお金をもらっているわけではないし、オーディエンスにサービスするための組織ではない。ぼくらはもっと自由な立場からフジロックに参加し、フェスの魅力を発信しているんです。

後藤:花房さんはフジロックに参加しつつ、批評性を持った立場であり続けているということですね。


6月18日(フェス開催前の日曜日)に撮影、ロンドンで合流してからパブを訪れた後藤正文と花房浩一(Photo by Mitch Ikeda)

―もう少し遡ると、スマッシュの設立は1983年ですよね。

花房:スマッシュが立ち上がった頃、日高と一緒にロンドンのブッキングエージェントを回りました。彼も英語はできるけど、通訳というクッションを置いた方が冷静にアプローチできるからということで、ぼくに声がかかった。

日本の歴史背景がわからない人も多いと思うけど、当時はプロモーターといえばウドーとキョードーしかなくて、彼らは有名なアーティストのコンサートしかやらなかった。訳のわからない新参プロモーターが海外までやってきて「コンサートやらせてくれ」と言っても、「お前ら誰だ? うちはウドーやキョードーとしかやらないから」ってなるじゃん。そこで日高が「イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズをやりたい」って言うと、「は? 日本で1000枚しかレコード売れてないぞ」と向こうが笑い出すんだよ。それでも日高が「だって良いバンドじゃん」と伝えたら「マジでやってくれるの?」って相手の態度がガラリと変わった。

日高はどのブッキングエージェントに会ってもそんな感じだった。「俺は信じてるバンドをやりたい、本当に良いバンドを育てたい」って。あいつが携わってきたエルヴィス・コステロやオアシスも、最初は全然売れてなかったんだよ。でも、そういうふうにやってきたから日高はすごく信頼されるんだよね。


イアン・デューリー&ザ・ブロックヘッズの初来日は1987年6月、後楽園ホールでウィルコ・ジョンソン・バンドを引き連れて実現。アンコールでは忌野清志郎も登場した

―まだ日本では知られていないけど、実力のあるアーティストを紹介していくというのを最初に始めたのが日高さんだったと。

花房:それから当時の日本はまだ、スタンディングのライブができるところがなかった。コンサートは席に座って静かに鑑賞するものだったんだよね。でも、海外のライブに行くと、DJが音楽をかけながら「さあ楽しむぞ!」という雰囲気を作って、みんな踊ったり自由に楽しんでいるわけ。そういう土壌が日本にはなかったんだけど、日高はその慣習も変えようとした。彼は後楽園ホールと交渉して、会場のなかにステージを作って、メチャクチャお金がかかったけどスタンディングで楽しめるライブ会場を用意した。

さらに、日本にDJカルチャーを持ち込んだのも彼ですよ。ぼくはイギリスでずっといろんなクラブを取材していて、クラブでの流行がポップミュージックに反映されていることを知っていた。例えば、エブリシング・バット・ザ・ガールとかウィークエンド、シャーデーが出てきた頃、彼らの音楽にはクラブでの動きが反映されていた。その頃にギャズ(・メイオール)がスカやR&Bがリバイバルさせる一方で、ポール・マーフィーを中心としたイギリスのDJたちがジャズをかけるようになり、それに合わせて踊ることでダンサーたちが技を競ったりするようになった。そこからDJも進化していって、いわゆるストレートアヘッドなジャズにも影響を与えるようになっていく。そういうふうに、DJたちが作ってきた文化があったんだよね。

ぼくがそういう動きについて書いていたら、「DJを呼ぼうぜ」って流れを日高が作ってくれて。ギャズとポール・マーフィーの初来日が1986年。それに触発されたのが松浦俊夫くんのU.F.O.、沖野修也くんのKYOTO JAZZ MASSIVEだったりするわけ。そこからシーンが形成されていったわけです。

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後藤:なるほど。政治との関わり方やライブハウスのあり方やクラブカルチャーなど、いろんなことを点ではなくて面で変えていったんですね。その先に90年代のフェスカルチャーがあり、ある種の大きな発露としてフジロックが生まれた。

花房:そう。フジロックについて理解しておくべきなのは「日高がやってきたことの集大成」だということ。フジロックにはライブだけでなく、DJもあれば芝居もあるしハプニングもある。グラストンベリーにあるものが全部含まれているし、音楽だけじゃない「遊び場」がフェスなんです。だからこそ、みんな行ってみたいと思うんじゃないかな。

その話でいうと、グラストンベリーで「Carhenge」という廃棄物を使ったアートを作っているジョー・ラッシュにインタビューしたとき、「フェスっていうのは、お金を出したからって口をあんぐり開けて美味しいものを食べるだけじゃないんだよ。自分もそのパートになって何かを一緒に作っていくものなんだ」と話していたのは面白かった。だから、お客さんが着飾ったりメイクしたりして遊んでるわけ。

後藤:グラストンベリーがただのコンサート会場じゃないっていうのは、少し歩いてみればよくわかりますよね。


廃車から作られた「Carhenge」のインスタレーション。今年は廃棄物から音楽を作り出すコンゴ民主共和国のバンド、Fulu Mizikiのステージも披露された(Photo by Jim Dyson/Redferns)






フェスの魅力は音楽だけではない。観客の数だけ楽しみ方があることをグラストンベリーは教えてくれる(Photo by Mitch Ikeda)

―「DJカルチャーの主役はオーディエンス」とよく言われますけど、フェスについても同じことが言えそうですよね。そう考えると、日高さんはただ与えられるだけの消費者ではなく、能動的な観客たちが生み出すカルチャーを日本に根付かせたかったんだなと。

後藤:たしかに。マナーやルールでがんじがらめになるのではなく、能動的に「お互いを尊重し合おう」ってことですよね。繋がりとしてはそこまで強固ではなく、むしろ割と緩いんだけど、何かしら似たような想いや価値観を持っている人たちが集まっているのがフェスだとすれば、コミュニティの比喩みたいにも思えてくる。

このグラストンベリーでも、何を観て、どこに行くのかは自由だし、それぞれが好きなところで全然違う環境で過ごしていて、みんなそれぞれ自分の選択をしているんだけど、どこかで何かしら繋がってるバイブスがある、みたいな。こういう場がときどき現れたりするのって美しいし、それだけでも十分「ぼくたちに何かできることはある」って思えますよね。

花房:そう思えるよね。自分は決して数字の中の一つではなくて、どこかで誰かと繋がっているんだなって。一人一人が存在することによって、それぞれが影響を与え合って、無意識のうちにも世界を作り上げているわけですよ。そんなふうに、「生きてるって何だろう?」って本質的なことをものすごくいい形で教えてくれるのがフェスであり、グラストンベリーだと思う。

ジョー・ストラマーが以前インタビューで、「年に3日間でいいから、“生きてるってどういうことか”を感じられる場にいようよ。それがフェスなんだ」と話していたのが僕の中にずっと引っかかっていて。あの言葉はすごくデカい。みんな毎日仕事で嫌なこともあったりするけど、そういうのから自由になって、「生きてるってこういうことだよね」と思えるような場を提供するのがフェスなんだろうね。その3日間が5日間になり、1カ月になり、自分の生き方になれば素晴らしいじゃないですか。








フェスは自分らしく生きること、そのために大切なことを再発見させてくれる(Photo by Mitch Ikeda)

後藤:「チケットを買ってるんだからサービスしろ」ではなくて、みんなで一緒にフェスを作っていくんだっていう。それは大事な精神だと思います。

花房:チケットは何かを与えてもらうために買うのではなく、「これだけ得られるから、そのバーターとしてこれをこなす」ってシェアするためのものですよ。本来はそういうものなんです。

後藤:そうやって考えていくと、最初の「“誰が出るから”とかじゃない」に戻ってくるというか。大きいバンドのファンだけが集まってチケットが売れたらいいって話じゃなくて、自分から参加している人が増えないと、フェスの意味がないよってことですね。

花房:そうなんですよ。だから、ぼくが一番望んでいるのは、グラストンベリーみたいに発表したら即売り切れるようなフェスティバルを作りたかった。売れてるアーティストを呼んだらいいっていうのは、昔のプロモーターがやってきたことと同じで、そんなのブローカーじゃん。フェスはそういう文化じゃないやろって。

実はフジロックを始めたとき、(グラストンベリー創設者の)マイケル・イービスに、「あなたたちの影響で、ぼくたちもこういうのをやることになったんだよ」って伝えたら、すごく大切なことを言ってましたね。「あのな、大きく育った木を掘り起こして植え替えても育たんよ」って。

後藤:うわー、めちゃくちゃ重要な言葉ですね!

花房:グラストンベリーは今年で53年目だけど、マイケルがこの自分の農場に数千人を集めて大赤字を出していた頃から歴史が脈々とあって、今ではしっかりした根を張っているわけ。コロナで瀕死状態になったフェスもあるけど、グラストンベリーはそんなの全く関係なかった。本当にすごいことだよね。


Photo by Mitch Ikeda




APPLE VINEGAR -Music+Talk-
後藤正文がホストを務めるポッドキャスト番組で、グラストンベリー取材旅行記を配信(前後編)





『田舎へ行こう! ~Going Up The Country』
Side A:忌野清志郎 「田舎へ行こう!~Going Up The Country」 作詞・作曲:忌野清志郎
Side A:円山京子 「苗場音頭」 作詞:長谷川洋・作曲:永田哲也
7インチアナログEP  カラーバイナル(グリーン)45rpm
詳細・購入:https://fujirockers-store.com/collections/cd-lp





FUJI ROCK FESTIVAL '23
2023年7月28日(金)29日(土)30日(日):新潟県 湯沢町 苗場スキー場
公式サイト:https://www.fujirockfestival.com/

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