スーダン・アーカイヴスが語るバイオリンを手にした理由、黒人として音楽を作る意味【フジロック出演】

バイオリンと黒人の深い歴史

その後彼女は、黒人にまつわるバイオリンのルーツを知ることとなる。「“スーダン”というキーワードでネット検索してみたら、バイオリンを弾く黒人の画像がたくさん出てきた」という。「“なんだ、私は特異な存在ではなかったんだ”と実感できた。それまでずっと、バイオリンを弾く私の姿は奇妙な目で見られてきたから。スーダンをはじめとするアフリカ各地からアフリカ系アメリカ人まで、バイオリンと黒人には深い歴史があることがわかったの。それから私は、自信を持ってバイオリンを弾き続けることができた。さらにいろいろな壁を取り払い、それまでは普通じゃないと感じていたことでも、従来通りの実験的なアプローチで挑戦できるようになった」



今は亡き継父は、ラフェイス・レコーズの元幹部だった。継父はスーダンの音楽的才能を見抜いていた。ただし彼は、ジャンルの枠を破ってバイオリンをフィーチャーしようとするスーダン本人の意向とは、異なるプランを持っていた。彼はスーダンと姉妹のキャットの2人にN2というティーンポップのデュオを結成させ、ヒットメーカーのプロデューサーと組ませた(「彼は、私がプロデュースに関わるのを嫌っていた。でも私としては、何よりもプロデュース業をやりたかった」とかつてスーダンは語っている)。結局、継父との音楽的な方向性の違いと、両親が彼女に強制した門限時間に反発したスーダンは、19歳の時にロサンゼルスへ逃亡した。ロサンゼルスで彼女はコミュニティーカレッジに通い、民族音楽を学んだ。

「私はほとんど注目されない楽器、特にアフリカの弦楽器に注目した。そして、よりナチュラルなスタイルのアフリカン・バイオリンの存在を知った。とてもワイルドに感情を込めて、より自由で即興的なスタイルで弾く。サウンド的にとても影響を受けたし、もっとクリエイティブにやってもいいんだという自信が持てた」とスーダンは言う。そして彼女は、ロサンゼルスの「実験的なプロデューサーの集まるアンダーグラウンドシーン」で、自身のクリエイティビティに磨きをかけた。彼女は、有名なLow End Theoryをはじめとするエレクトロニックやヒップホップのイベントに頻繁に顔を出し、プロデューサーのマシューデイヴィッドらと知り合った。

ロサンゼルスで構築した人脈のおかげで、2017年のStones Throwとの契約につながる。同レーベルからリリースされたデビューEP『Sudan Archives』は、彼女がiPadを使って制作し、注目を浴びた。彼女にとって、パソコンを使って楽曲を作ろうと試行錯誤していた頃に比べれば楽しめたようだ。「“こっちの方が楽しい”と思った。コンパクトにまとまっていて余計な機能もないから、何から手を付けていいかパニックになることもなかった」とスーダンは言う。「タブレットでの曲作りはシンプルで、あれこれ考え過ぎずに済むから、これまでの音楽生活の中で一番楽しめたと思う」。



この頃スーダンは、ふと思い付いてバイトを辞めている。「朝の6時に目が覚めて、“もうドーナツ屋では働きたくない”と思った。その後すぐに、音楽で稼げるようになった」という。そしてしばらくは、当時のボーイフレンドとサンディエゴで暮らした。「無一文だったけれど、“何かを成し遂げよう”という目標ははっきりしていた。車に寝泊まりすることになってもいい、という覚悟があったし、とにかく音楽以外の仕事はもうやりたくなかった」とスーダンは振り返る。

Translated by Smokva Tokyo

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