長谷川白紙が語るフジロック、比類なき音楽家が辿り着いた新境地

∈Y∋からの学び、フジロックに向けて

―「EPONYM 1A」に話を戻すと、COSMIC LABによる映像演出、∈Y∋さん(BOREDOMS)のDJも素晴らしかったです。

長谷川:もう、凄かったですよね。自分がライブをやっているとき、自分のライブがどういうふうになされているか、わたしは見れないというのがジレンマとしてあるんですけど、少なくとも∈Y∋さんは凄すぎましたね。ずっと異常なシンゲリ(タンザニア発祥の高速ダンスミュージック)が……シンゲリとも呼べないようなシンゲリ。

―共演を通じて得るものはありましたか?

長谷川:ええ、非常にありました。∈Y∋さんのDJセットでは、やはりテクスチャーとリズムの問題が非常によく取り扱われていたと思うんですね。そうだ、よく考えたらさっき、マヌエラ・ブラックバーンと一緒にシンゲリの話もしておくべきでした。シンゲリもある種、テクスチャーとリズムの境界線にあるものを常に取り扱っていると思うんです。非常に示唆的で重要だと思うのが、シンゲリは現地の言葉でケレレ(kelele)と呼ばれていて、これがスワヒリ語でノイズという意味なんですよね。つまり、それが整頓されたパルス、秩序化されたリズムであるのか、単なるノイズであるのか、という問題を常にシンゲリは取り扱っている。そこに対して∈Y∋さんが仕掛けてきたアプローチは、ずっと加速してずっと落ちてこない。そして、音質がどんどん変化していく。これは要するに、非常に速い身体性で秩序化されたリズムであるのか、それともノイズであるのかという問題。本来ならこれは、あまり明示的でないはずなんですよね。個人の感覚によっても違うでしょうし。ただ、それがあるかのように見せかけられている。∈Y∋さんのセットはそういう現実をすごく提示していると思っていて。こんなことを考えずにただ踊れるというだけで素晴らしいセットだったとも思うんですが、そこの影響は確実に受けています。

―白紙さんは「EPONYM 1A (TOKYO)」でのMCで、フジロックにも同じセットを持っていくとお話していましたよね。どういったライブになりそうですか。

長谷川:基本的には、わたしの持っている主題は変わらないと思います。それをするつもりで臨みますし、演出に関しても「EPONYM 1A」のチームに引き続き協力していただく形になります。非常に楽しみです。



︎―ちなみにフジロック出演が決まったとき、どう思われました?

長谷川:「うわー!」と思いました(笑)。まさか、という感覚がありましたね。非常に嬉しい反面、なんというか背筋が伸びました。ちゃんと爪痕を残さなければならないな、という意識になったというか。

―観客として楽しみなアーティストはいますか?

長谷川:3日目にリゾが出るんですよね。絶対観たい。フジロックは、キュレーションがずっと素晴らしいなと思っていて。いま日本で観られるべきアーティストを非常に的確に選んでいる印象があって。100 gecsがどんなライブをやるのかは気になりますね。(海外では)観客がひたすらシンガロングするライブがフジロックでどうなるのか。ブラック・ミディもライブを観たことがないので気になる存在ですね。VegynとかTohjiも見たいんだけど初日から行けるのかな。

ルイス・コールも気になりますね。ライブをするときに、一つのショウケースとしてデザインする意識が強くあるタイプだと思うんですよ。ある共有された場においてエンターテインメントを成立させるには、どのような所作やセットリスト、演出が必要であるのか。そういうことに対して、非常に自覚的なアーティストだと思います。

∈Y∋さんとCOSMIC LABも初日に出ますよね。2021年にもFINALBY( )名義で出ていて。球状の物体に触ると音がするみたいな、非常に混沌としたもので(笑)。プリミティブな面が常にありますよね。ある物体を回すと音がするのだ、という直結的な構造というか。その上で出てくるサウンドスケープが凄い。非常に撹乱的なセットだったと思います。





―次のアルバムもフジロック出演も楽しみにしています。これを機にさらに話題になっていくでしょうし。

長谷川:最初に語ったようなことを行うためには、わたし自身の規模がどんどん大きくなっていく必要がある。だから、フジロックに呼んでいただけるのも非常に光栄です。ちゃんとアプローチしていきたいですよね、自分に取れる手段で。

―それに関連して、ポップさというか、どういう引っ掛かりを作るかといったことは意識されますか。

長谷川:ええ、非常に意識していると思います。身体の問題がやはりあるんですよね。ジュディス・バトラーではないですけど、常に重要なのは身体である、というのがわたしの主軸として強くあって。さっきわたしが複製芸術というものを強調して言った理由のもう一つに、複製芸術が身体を仮構するというのがあります。聴取者のなかに、実際とは違う想像上のアーティストの身体、というものを常に構築するよう促すと思うんですよ。わたしは、その構築される身体、というものも最大化したいという欲求があって。そしてこれは、聴取者がいればいるだけ、その数だけその現象が起こるというふうに感じているんですね。もちろんこれは、少なければ何をしていいとか、多ければ当てにいくべきだとかいう論でもないんですけど。なるべく多様な観点、わたしが独りで準備できるようなものではない観点から、逆説的にわたしの身体の撹乱を引き起こす。そのためには、ある種のポップ性が非常に重要ということは理解していますし、サウンドデザインやアルバム全体の構造でもそれを提示できるように思っています。

―アルバムというフォーマットには、だいぶこだわりがありますか?

長谷川:たぶん前まではあまりなかったと思うんですよ。一番強い影響源とかディグの場がSoundCloudとかニコニコ動画、YouTubeだった、そういったものが自分にとって原初のものだったというのが強いと思います。だから、わたしにとっては、アルバムというのは「なぜアルバムになっているのか」よく分からないものだったんですよね。確かに、アルバムの流れで聴いて、この曲がこういうふうに作用している、結果的にこの曲は単体で聴いたときと全く違う聴こえ方をする、というのが非常に重要というか、良い点だともわかっているんですけど、果たしてそれだけなのだろうか。ということをずっと思っていたんですよね。それが先ほどお話ししたようなことと繋がります。音楽というものが、時間の使用というものを前提化していることと、そこに対して、わたしが行える、そして行うべきであろう撹乱というものは、構築されていく身体というものが常に多様で複雑であるという事実を明示することだと思っています。アルバムというフォーマットは、それをやるのに非常に向いているという確信があるんですよ。




FUJI ROCK FESTIVAL '23
2023年7月28日(金)29日(土)30日(日):新潟県 湯沢町 苗場スキー場
※長谷川白紙は7月29日(土)出演
公式サイト:https://www.fujirockfestival.com/

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