長谷川白紙が語るフジロック、比類なき音楽家が辿り着いた新境地

―最初の方で「いろんなアーティストの音を知って、オーケストレーションの方法が自分の中で一つ増えた」というお話がありましたが、具体的にどんな音楽への理解を深め、そこから何を学んだのか教えてもらえますか。

長谷川:影響源は近年ものすごくたくさんあったので、特にこれだと言うのは難しいのですが。一つには、ジェームス・ブラウンの研究を行いました。そこで、現代において規範的で権威的なリズムというものが、バスドラム、スネアドラム、ハイハットという三つの要素にいまだに分解できる、というのがわかったんですね。



で、その後はプレイボーイ・カルティをものすごく聴きました。バスドラムのディケイやリリースがリズム全体のテクスチャーに与える影響はどのようなものなのか、という視点ですね。ベースがドゥーンと長く続いているのか、それともスタッカートでバツンと切れているのか。そうしたことが、リズムの拍点に何をもたらすのか。トラップなどにおけるディケイが非常に長いベースは、あれ以上のBPMでは成立しなくなっていくんだろうなという所感があります。ああいう包み込むように芳醇なベースを用意するためには、ある一定のBPMという枠組みが必要なんじゃないか。そしてそれは、けっこう固定されているものなんじゃないかと思いました。



次に、ソフィーをものすごく聴きました。あらゆるサウンドが許容される事態を想定したときに、何がリズムに影響をもたらすのか。ここの話から、「時間の使用」がとても重要になってくると思います。あるテクスチャーがリズミックであるのか、それとも持続的であるのかというパラメーター。そして、何がその音質にかけられているのか。ソフィーがやっていたことも、わたしの活動に大きな影響を与えています。音楽における時間の使用において、何が突拍子もなくて、何であればそうでなく聞こえるのか。そしてそれはどのようなリズムを伴っているのか。リズムにおいて、ある権威的なビートを採用することと、そうではないものを採用する、その間の撹乱をやってきたのが、ソフィーやアルカ、A.G.クックといった現代におけるアイコニックな人たち。この言い方はあまり好きじゃないんですけど、ハイパーポップであるとか、あとはバブルガムベースであるとか。先述のことは、そういったムーブメントにおいて非常に重要な事柄だったと思っています。



あと、マヌエラ・ブラックバーンであるとか、ホラシオ・ヴァギオーニといった、いわゆる西洋音楽芸術における、エレクトロ・アコースティックと呼ばれるムーブメント。これは、いま聴くと「ギターのことかな」と思う方が大半だと思うんですけど、サウンドアート的というか。いわゆる音源データ、ある一曲が完全に複製技術として固定された形態を持っている状態のことを、西洋芸術音楽ではフィクスト・メディアと言うんですね。そこで、ブラックバーンというわたしがとても好きな作家が、テクスチャーとリズムの間における認識の境界線のようなことについてずっと実践していた。あるパルスがどれだけ速ければテクスチャーに聞こえて、どれだけ遅ければリズムに聞こえるのか。そうしたことをブラックバーンは雄弁に語っている。新作のモードとしては、この四つが重要な思索だったと思います。


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