小瀬村晶が語る、東京で感じ取った「日本の四季」をピアノで描いた理由

―例えば「Gentle Voice」のMVを拝見すると、広い野原が映し出されています。ご自分が育った東京の原風景と四季をどう結び付けているのでしょうか。



小瀬村:初めて会った人によく、「小瀬村さんって森に住んでるのかなと思った」って言われるんですよ(笑)。

―確かに森に住んでピアノを弾いてそうなイメージはありますね(笑)。

小瀬村:実際は東京に住んでるんですけど、都会に住んでると逆に自然のささやかな美しさに気づいてハッとすることも多い。よく大きい公園に行ったりするんですけど、そういうところで鳴ってる音に耳が開くっていうか。今回きっかけになったのもそうですけど、人間って身近なものこそ当たり前すぎて、貴重だっていうことに気付きにくいと思うんです。例えば本当に森に住んでる人だったら、森をテーマに曲を作らないかもしれないし、そういう意味で僕は東京に住んでるけど、自然からインスピレーションが沸くことも多いんです。あとは作曲を始めた頃に通ってた大学がすごく田舎にあって、山を切り開いて作ったキャンパスだったので、そこで毎日ボーっと風の音を聴いたりしていたので、そこからインスピレーションをもらっていた部分もあります。

―確かに、ロックでも「東京」って曲を歌う人はだいたい大体地方から出てきたミュージシャンな気がします。

小瀬村:東京生まれの人ってあまり書かないですよね。そういう感覚に近いのかなって思います。

―大学時代によく風の音を聴いたりしていたとおっしゃいましたが、そういう自然から感じたものは、以前からピアノを弾いたときに表れていた覚えはありますか。

小瀬村:それはありますね。元々一番最初のアルバムを作ったときにちょっと体調を崩していて、学校にも行けなかった時期があったんです。そのときに毎日公園に通ってはいろんな音を採集して持って帰って聴いていたんです。改めて聴くと、自分が現場にいて録っているのに、そのときには聴こえてなかった音が入っていたり、そもそも音の聴こえ方がまず違ったりして面白いなと思って。いわゆるフィールドレコーディングですけど、どんどんいろんな音を採取して、それをコンピュータの中で組み合わせて編集して、少しシンセサイザーやピアノを加えたりして自分で楽しんでたんですよ。それが自分へのメディテーションとか癒しになって、心を休ませたりしていて。その作品をオーストラリアの人が聴いてアルバムにしようって言ってくれたことが始まりなんです。その感覚は今も根付いてるというか、続いてると思います。

―ピアノはいつ頃から弾いていたんですか。

小瀬村:3歳ぐらいから弾いていて、住んでいた町の小さい場所で、おばあさんが1人で教えてるところで中学生までクラシックを習っていたんですけど、怖い先生に怒られながらやっていたから楽しくなくて。でもその先生が病気で亡くなってしまって、次に新しく来た先生は「好きな曲を持っておいで」っていうタイプの方で、「タイタニック」の曲を練習して弾けるようになったんです。好きな曲を弾けるようになったし、大満足でもうこれ以上やることはないなと思って、逆にピアノへの興味を失ってしまいました。高校では軽音部に入ったんですけど、そこで当時流行ってたロックとかミクスチャーとかヒップホップ系のバンドを知ってカルチャーショックを受けたんです。でもキーボードとかはいらないっていう部活だったので、僕はボーカルをやってTHE MAD CAPSULE MARKETSをコピーしたり、デジタルロックをやってました。ほぼ叫んでただけですけど(笑)。

―へえ~! ピアノを弾いている姿からは想像できないです。

小瀬村:歌はあまり得意じゃなかったので、そこでやめたんですけどね。大学生になってからはエレクトロニカに興味を持つようになって、自分でも作ってみたいなと思って曲を作るようになったんです。作曲をするようになってから、改めてピアノにも興味を持つようになりました。

Rolling Stone Japan 編集部

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