マイケル・マクドナルドが語る、ドゥービー・ブラザーズ来日と知られざる音楽遍歴

 
「What A Fool Believes」とゴスペルの影響

―ドゥービー・ブラザーズに加入してから最初のヒット曲「Takin’ It To The Streets」は、ゴスペルを最新のサウンドでアップデートした感じが新鮮でした。のちにあなたはワイナンズとも共演しますが、ゴスペルから受けた影響は小さくないのでは?

マイケル:ああ、カリフォルニアに移る直前、まだセントルイスに住んでいた頃――そしてカリフォルニアに移ってからも、セントルイスに帰郷すると一緒に演奏していたのがマイケル・オハラだ。彼はクワイアがものすごい教会で音楽監督を務めていた人の息子で、キーボード奏者としても作曲家としても才能があるやつだった。マイケルはセキュラー・ミュージック(ゴスペルではない世俗的な音楽)のバンドも兄弟のリオンとやってて、僕はそのバンドの一員だったんだ。彼らからゴスペルを聴かされ、僕も知るようになった。

もっと遡るなら……子供の頃、学校から帰ってくると枕の下にラジオを忍ばせておき、夜中母親に見つからないように聴いてたんだ。なぜか夜になると電波が遠くまで届くらしく、ナッシュヴィルのラジオ局がセントルイスでも聴けたんだよ。日曜の夜はゴスペル・アワーと言って、ナッシュヴィル各地の教会でのゴスペル・パフォーマンスを録音したものを流していた。実にパワフルでエモーショナルな歌声だった。僕にとっては、パッションやパワーやダイナミクスという意味では、ゴスペルはロックンロール以上だった。ロックンロールは大好きで何年も演奏したが、R&B、そして特にゴスペルこそ、アメリカン・ミュージックの真のエネルギーの核だと思える。あとジャズも。



―ドゥービーの名曲、「What A Fool Believes」は、ヴァースとコーラスのほとんどをあなたが先に書いていて、メロディを仕上げるのをケニー・ロギンスが手伝った、とケニーは発言しています。どんな風にあの曲を思いついて、完成に至ったのかを教えてもらえますか?

マイケル:ああ。というか、あの曲を完成することができた唯一の理由はケニー・ロギンスさ。随分前から、最初のヴァース――シンコペートするあのキーボードのヴァースさ――だけが書けていて、テッド・テンプルマン(プロデューサー)にも聞かせたことがあった。テッドからは「すごく良いから完成させなきゃダメだ」と言われ、「わかった、完成させるよ」と答えたものの、結局は完成させられずにいたんだ。ある時、ケニーと曲を書く予定で彼が家に来ることになっていた。その時、妹もいたので曲を聴かせたんだよ。彼女からはあまりいい反応は帰ってこなかったが、その時家のベルが鳴り、ドアを開けるとケニーが立っていた。ギターを部屋に入れるのを手伝おうとすると、開口一番ケニーが言うんだ。「今ピアノで弾いてたのは何? 新曲か?」「ああ、君に聴かせようと思ってたとこさ」「よし、じゃあまずあの曲からやりたい。というか、ドア越しに聴きながら、ブリッジの部分をもう書いたよ」と言うんだ。♪She had a place in his life~の部分さ。そして、それからの数日間で曲は完成してしまったんだ。



―その「What A Fool Believes」で聴ける、ピアノとシンセサイザーを組み合わせたアレンジメントは、シンセを単にストリングスの代用としてのみ使うのではなく、リズム楽器としてピアノと組み合わせ、レイヤーを重ねていく感じが画期的だったと思います。あの手法は、どのようにできていったのですか?

マイケル:あの曲ではリトル・フィートのビル・ペインに助けてもらったよ。僕はシンセのプログラミングが苦手すぎることで有名でね(苦笑)。あまりに時間がかかるんで、「もう辞める!」とエンジニアに何度か脅されたほどだ。時間がかかる上に、間違ってボタンを押し、それまでやったことを全部パーにして、大いに呆れられた! だからもしシンセを入れていいなら、ビル・ペインにプログラミングしてもらうと約束して、ビリーにオーバーハイムのプログラミングをお願いしたんだ。パートがわかっているのは僕なので、自分で演奏はしたが、あのサウンドをプロミングしてくれたビルの力がものすごく大きかった。

―そうなんですね。あの曲のシンコぺートするピアノは、日本中のアレンジャーが一時期死ぬほど真似しました。おかげで日本のポップスがかなり洗練されたと思います。

マイケル:それは嬉しいね。僕にしたって、あれはゴスペル音楽を真似してたわけだからさ。「Minute By Minute」もそう。ああいった曲の、シンコペーションを効かせたフィーリングはゴスペルからの影響だと言っていい。



―あなたは、その「What A Fool Believes」をカバーしたアレサ・フランクリンや、レイ・チャールズ、パティ・ラベル、ジェームス・イングラムなど、数多くの優れたソウル・シンガーたちと共演してきた稀有な存在でもありますよね。中でも強く印象に残っているのは誰ですか?

マイケル:今、名前があがった人たちはもちろんだが、他にも大勢いる。パティ(・ラベル)はもちろんだし、ウェンディ・モートンも大好きなボーカリストの一人だ。妻であるエイミー(・ホーランド)と歌うのも大好きだ。彼女の1st アルバムを一緒にプロデュースしたのは、友人でゴスペル(キーボード奏者)のパトリック・ヘンダーソンだ。エイミーとやる時は大抵曲も共作している。彼女のアリソン・クラウスのようにきれいな声と、その正反対の僕の声を組み合わせるのが楽しいんだ。両者をうまく活かせる楽曲を探し、やり方を探っていつもやってきた。あと、僕が「こういう声に生まれたかった」と思う声の持ち主、ジェームス・イングラムなど。大勢いるよ。



Translated by Kyoko Maruyama

 
 
 
 

RECOMMENDEDおすすめの記事


 

RELATED関連する記事

 

MOST VIEWED人気の記事

 

Current ISSUE