ASKAが語る、デイヴィッド・フォスターへの想い、音楽制作における変わらぬ美学

『Wonderful world』について

―そんなことがあったんですね! 3月のデイヴィッド・フォスターとのライブが楽しみです。さて、アルバム『Wonderful world』の話を聞かせてください。何と言っても1曲目からCHAGE&ASKAのカバー。今回CHAGE&ASKAのカバーが2曲入っていますが、その選曲の理由から教えてもらえますか。

先に言うと「太陽と埃の中で」と「PRIDE」の2曲をカバーしているんですが、これは両方とも偶発的なものなんです。「PRIDE」は亀田興毅との出会いにより、興毅のリクエストでセルフカバーしたもの。もう一つの『太陽と埃の中で』も出会いなんですけど、前からお付き合いのある人たちから、今お笑いのベテラン組の人たちが活動できなくなってきたというのを聞いて。お笑いって新しい人たちが強くて、どうしても新しい人たちが脚光を浴びがちなんだと。でもベテラン組はベテラン組のテクニックがある。ただ時間が過ぎたっていうだけで仕事がなくなっていった人たちに、ベテラン健在っていうところを見せたいというところで「G1-グランプリ」というのを作ったと。そのテーマ曲として依頼されたのが、やっぱり「PRIDE」でした。でも「PRIDE」は興毅との約束ですでに使っていましたから。それで「太陽と埃の中で」を提案したんです。ただ「太陽と埃の中で」もCHAGE&ASKAの作品の中でも特別枠に入る曲で、手を付けちゃいけないなと思っていました。「PRIDE」もそうでした。でも、今気持ちは変わりつつあるかな。今やれることはやっておこうという気持ちに変わりつつあります。なぜならば、チャンスは前髪にしかないからです。通り過ぎてしまったら、もう掴めないですから。



―ええ。

でも、それをやることに意味ができたときには気持ちって変わりますから。30年経ってみて「太陽と埃の中で」という楽曲を今自分が歌ってみるのもいいんじゃないかと。それともう一つ、ある手法があって、久しぶりにそれを使ってみたいなと思った曲なんです。アレンジ面でもそれができたので、生まれ変わったという感じになってくれたと思います。ただ単にカバーで違うものを作りましたではなくて、時代とともに前のオリジナルをちゃんと意味のあるものにできたと思っています。オリジナルはオリジナルで圧倒的に強いですけど、それに匹敵するぐらいのものを作らないといけませんから。それができたっていうのが良かったですね。

―その“ある手法”は企業秘密なんですか?

企業秘密です(笑)。

―数ある曲の中で「太陽と埃の中で」は手を付けちゃいけない曲の一つだということですが、あらためて若い読者のために言うとそれはなぜ?

もうCHAGE&ASKAを知らない世代が増えてきていますから。

―「太陽と埃の中で」が発表されたのは1991年、30年前の曲なので、今の大学生ですらまだ生まれてない。で、「太陽と埃の中で」って、ある種の青春賛歌的なところもあるので、それも特別な歌な理由なのですか?

それは、周りが言ってくれることで、僕はそこはあんまり意識していないです。

―ではあの当時、どんな意識で「太陽と埃の中での」の詞を書いたのですか?

今も確立していないんですけど、あの当時はまだ歌詞に関しては何も確立出来ていない時で。だからあまり覚えていないんです。ただ、最近もちょっと言ってるんですけど、僕が最近書いている<散文詩>という詩。あれは、色感だと思っているんです。音楽に必要なのは語感。その語感を「太陽と埃の中で」ではすごく感じ始めていた時だったんです。歌は語感です。かくかくしかじかみたいに歌がカクカクとなってしまったら歌にはなりません。そこの言葉の選び方が自分なりにわかり始めてきた時だったかもしれません。

―どう聴感上聴こえるか?を優先して書き始めたころだったと?

はい。本当に歌って聴感上が大切だと思うんです。当時もよくそういう出来事が起きていました。ここってちょっと(コードが)当たってるよね?って。でも当たってるのって一瞬だよね?って僕が答えると、でも音楽的に当たってるのでやめましょう!となりがち。でもちょっと待てよと。気持ちのいい方を選ぼうよって。当たってる、当たってないじゃなくて、聴感上気持ちいいと思った方を選ぼうと。それを今は堂々とやっています。言ってしまえば、クラシックなんか当たりまくりですから。でも気持ちいいわけですよね? 聴感上を大切にしていきたいと思ったんです。

―じゃあ「太陽と埃の中で」も、聴感上の気持ちよさが優先されて、何かに対するメッセージというよりも、ASKAさんの中で歌に乗った時に響きのいい言葉が、歌としてメロディに乗っている作品ということですね。

全部はわかっちゃいないんですけど、こういう感じかなというボヤけたものが自分の中で芽生え始めた時でした。それまでは詞は“こうでなくちゃいけない”というのが強かったんです。『太陽と埃の中で』で前後の作品ではいろいろとわかり始めてきた頃。“音学”から“音楽”へと解放されました。

―作詞の呪縛から解き放たれたっていう作品でもあると?

そうですね。あの頃から俄然変わってきました。

―アルバムの曲の話に戻りますが、アルバムはCHAGE&ASAKAのカバーが2曲。ここ最近の配信曲、シングルリリースされた曲、さらにこのアルバム用の新曲5曲で構成されていますが、新曲の「どんな顔で笑えばいい」は、アルバムの中でも異質の曲です。サウンドもアグレッシブだし、歌詞も、ASKAさんの今の世の中の偽善に対する苛立ちみたいなものを感じますが、どのタイミングで着手された曲なんですか?

シングルでリリースして、アルバムにも収録されている「笑って歩こうよ」は、実は7、8年前に作った曲なんです。でもこれまでのアルバムには入れてこなかったわけです。でもここにきてシングルになったのは、やっぱり時代の流れの中で、今歌うからこそ意味が出てくることがあったりするんです。「どんな顔で笑えばいい」のスケッチは20年前にできていました。当時、歌詞なしでラララでステージで披露してるんです。こんな曲できたからちょっとラララで歌うよって。すごく反応が良かった。反応は良かったんですけど、自分の中ではどうしても何かが足りないと思っていて、その後も何度か手を付けたんですが、それでもダメでした。自分の中の合格点に行かない。それで、今回アルバムを作るにあたって、もうこの曲は入れようと決めていたんです。前に手を付けても自分の中で合格点にいかなかったけど、絶対にそこまでいくぞという気持ちになって、集中してやりました。今回やっと表に出すことができたんですけど、できたタイミングで今の世の中と合ってしまったという感じです。

―すごい!! しかもこの曲が入ることによって、アルバムの表情が変わるんです。

いきなり変わりますよね。

―はい。アルバム中盤は「僕のwonderful world」「幸せの黄色い風船」と、ラブソングが続く中で、この一曲があることでよい意味での緊張感が生まれてます。つまりアルバムのキー曲だなと。

イントロは20年前のそのままで、アレンジはほぼ一緒です。

―ASKAさんの中での曲に対する合格点はどこに重きがあるんですか? 今回でいうと、「どんな顔で笑えばいい」が合格点にいけた要因は何だったんですか? 音的なこと?

実はサビのメロディーを全部替えたんです。だから、聴く人によっては、組曲みたいに聴こえるらしいんですけど、でもそうかもしれないです。あんまり自分では組曲っていうのは考えていなかったんですけどね。

―確かに組曲みたいに聴こえます。一方、新曲「誰の空」はASKAソロの代表曲になってもいいんじゃないかと思う名曲です。

「どんな顔で笑えばいい」が一曲入っていると異質になるわけです。それで、その曲が異質・特別にならないように、もう一曲同じようなマイナーロック調で作ってみたのが「誰の空」です。僕は、一つの円を埋めてアルバムっていうのは出来上がるんだってよく言うんです。「どんな顔で笑えばいい」はウケがいいのはわかっていました。その対抗馬となる曲が必要だと思い作りました。あえて作った曲です。

―今の円の中のピースの話でいうと、ASKAさんの中では、今回のアルバム全体としてのイメージがあったんですか?

毎回、どんなアルバムを作るかっていうのは全然考えていないんです。アルバムいいねっていうのは、いい曲がいっぱい入ってるねっていうことと同じでしょう?なので、そう言ってもらえるような楽曲を揃えていこうという気持ちは、音楽人生で一度も変わっていません。

―なるほど。コンセプトありきではなくて、とにかくいい曲をたくさん書いてアルバムに入れると?

はい。ただ、それはお互いの感覚ですから、何がいい、優れているっていうのではなくて。僕の音楽を聴いてくれる人、それは、たまたま街角で聴いた人、紹介されて聴いてみた人…そういう人たちの共有感としての“いいね”をどれだけ放り込んで作って行けるかですから。そこは、いいものを作るためには作為的にならないとだめだとも思っています。自然に作りましたという素晴らしさもあるんでしょうけど、僕は作為的に作っています。

―リスナーがいいだろうと思ってもらえるところを狙って作っていると?

そうですね。狙って作っています。

―それを狙って作れる人と作れない人がいるんでしょうけど。

みんな狙っているんでしょうけど、そこが感覚の違いなんだと思うんです。これを好きな人、嫌いな人。これが感覚の違いです。世の中は常に動いています。少なくとも、その中で常に繋がっていられるようなものを自分なりに感じて、そこに合わせて行ってるところがあるんです。でも、やはり常に目指しているものは普遍的な良さを備えているメロディです。

―でも、ここがいい、ここで繋がっている部分って、例えば90年代と比べると、やっぱり変わってきているものなんですか?

イントロが短い、または無い曲が増えてきています。

―ええ。最近のTikTokとかで流行ってるような曲を、ASKAさんはどういう風に聴いてます?

TikTokは全然見ないのでわからないです。

―じゃあ、ASKAさん的にリスナーに向けている、いいのはここだろ?っていう“ここ”の部分を言葉にすると?

あえて古い人の発言をするならば、メロディって70年代、80年代でもう完結されたと思うんです。やっぱりメロディが素晴らしかった時代ってそこまでです。後は、サウンドであったり、その時代感であったりなので。メロディの良さはそこで位置付けられたと思うので、そこを大切に失わずに作っていきたいと思っています。

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