自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこない
田家:1988年の中山美穂さん1stアルバム『angel hearts』より「Sweetest Lover」。これも1988年なんですね。そう考えると、瀬尾さんが中島みゆきさんの「涙 - Made in tears」や長渕剛さんの「とんぼ」、そしてこの曲「Sweetest Lover」、ここで一つ波があったんでしょうね。
瀬尾:全部違う曲調なんですけどね(笑)。もはや多重人格ですよね、でもそうじゃないとアレンジプロデュースってできないですからね。色々な面を見ないと。アーティストを見る目っていうのがないと、自分の色だけでやってしまうとアーティストの色は出てこないので。
田家:しかも公式に当てはめようともしないと。でもある種の飽和状態っていうんでしょうかね、やれることはやってしまった感じになったことはありますか?
瀬尾:ありますあります。もう引き出し空っぽっていう、ゴミも出てこないっていう。でもこれは本当に自由業の特権なんですけど、休めばいいんです。仕事をしなければいいんです。
田家:それはいつごろですか?
瀬尾:それは30代後半くらいですね。80年代後半くらいにそういう状態になって、もう辞めたくなりましたね。
田家:1988年っていうのはそれを抜け出した頃?
瀬尾:そうなんですよ。僕の運が良かったのは、その頃に徳永英明さん、中島みゆきさん、長渕剛さんと出会ってそこで自分の中でも結構変わってきましたね。
田家:そうなんですね、やっぱり出会うべくして出会ったんでしょうね。お聴きいただいたのは15曲目、中山美穂さんで「Sweetest Lover」でした。続いて16曲目です、徳永英明さんの「夢を信じて」。出会うべくして出会った人です。1990年に発売された9枚目のシングルで徳永さん最大のヒット。しかもこの曲は、彼が事務所を立ち上げた時の曲ですね。そういう意味でも彼にとって人生の転機になった曲ですね。
瀬尾:そうなんですね。僕は徳永英明とこの何年か前から一緒に仕事をしていたんですけど、なぜか知らないけど彼とはとても馬が合ったんですよね。育ったのも関西で、近くの高校なので話題が結構あって、しかも吉本観て育ってるんで(笑)。レコーディング中はずっと笑ってましたね。ずっと掛け合いをやってました。
田家:なかなかそういう風には見えない2人ですけどね(笑)。
瀬尾:スタジオの人が笑い転げて疲れるくらいでしたね。
田家:徳永さんの曲は、今回のコンピレーションの1と2には「壊れかけのRadio」と「最後の言い訳」が入ってましたけども。そういう意味では徳永さんの歌のビートっていう意味ではこの曲が一番でしょう?
瀬尾:そうですね、この歌はアニメ『ドラゴンクエスト』の主題歌でもあったので、そういう意識もあって作りましたけども、
田家:そして一番のヒットになったと。
瀬尾:あ、そうだったんですか?
田家:これもやっぱりヒットのこと言われてもわかりませんよって(笑)。でも徳永さんと出会えて良かったことって何かありますか?
瀬尾:プロデューサーという意識をすごく持たせてくれたかな。長渕剛さんとは共同プロデュースっていう形だったんですけど、徳永さんの場合は全面的に任せてくれて信頼もしてくれたので。それがプロデューサーの方にウェイトを持っていこうっていう気持ちにさせてくれたのは徳永さんですよね。その後に中島みゆきさんと会ったので、その時にはプロデューサーメインでやっていこうって思うようになってました。
田家:なるほど。この「夢を信じて」が発売された1990年には中島みゆきさんのイベント「夜会」も始まってました。
瀬尾:1989年でしたからね。
田家:お聴きいただいたのは16曲目、徳永英明さんで「夢を信じて」でした。最後の曲はこちらです。中島みゆきさんの1992年の曲「浅い眠り」。