中島みゆきは「戦友」 プロデューサー/アレンジャーの瀬尾一三が語る

初めてアレンジした中島みゆきの「涙 - Made in tears -」

田家:次の方は人生に関わったというよりは、人生そのものになった方でしょう。1988年、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」。初めて瀬尾さんがアレンジされた曲で、お互いの人生を決めた曲。

瀬尾:この時はシングルとしては一番最初にレコーディングした曲で、もしかしたらごめんなさいっていう結果になるかもしれませんっていう風にディレクターの方には言って。お互い牙を剥き合って刺しあって終わるかなという感じだったんですが、なんでしょうね、こうして30年も続いてね。

田家:牙を剥き合うという感じがあったんですか?

瀬尾:ありませんでした(笑)。本当にあったら30年もやっていなかったと思います。お互い我慢強くて、まだ牙出してないのかもしれません(笑)。だからいつか牙を出された時には「すいません」って言うしかないですね。

田家:中島みゆきさんをやるって決まった時には周りの人には「大変だよ、辞めた方がいいよ」って言われたということですが、実際に会ってみたらこんなにちゃんと話ができる人なのかと思ったと。

瀬尾:本当に百聞は一見に如かずですよ。まず皆さん、周りのことはあまり信用しない方がいいです、まず会いましょう。初めてそう思ったんですよね、人の噂はこういうものなんだなって。だから直にあって話すっていうことはお互いに誤解なくなるので。

田家:みゆきさんの曲はもう一曲選ばれているので、後ほどまたということで。コンピレーションアルバム13曲目、中島みゆきさんで「涙 - Made in tears -」でした。

田家:続いて14曲目です、長渕剛さんで「とんぼ」。1988年のドラマ『とんぼ』の主題歌でオリコン5週連続1位、年間3位ということですごいですね。この時、長渕さんはデビュー10年目ですね。



瀬尾:この紹介文を見ていて思ったんですけど、さっきの中島みゆきさんの「涙 - Made in tears - 」とこの「とんぼ」、発売日が5日違いなんですよね。なんだこの短い間に(笑)。だからほぼ同時くらいにレコーディングしてたんでしょうね。

田家:でも長渕さんはこのずっと前からやられていたんですもんね。やっぱりこの、大ヒットになった曲で今後の彼の活動の転機になったりとか、新しい何かが始まった感じはありました?

瀬尾:そうですねえ。でも当時彼はドラマに出たりしていましたからね。その相乗効果のような気もしますけどね。だから、うーん……。本当にこう言っては申し訳ないけど、僕の仕事って発売の3カ月~半年前にもう曲を仕上げちゃってるから。だから実際の発売の時期には、正直どうなのかってよく分からないんですよ(笑)。だからヒットしましたっていうのは、僕からしたらずっと前のことで。ヒットしましたって言われても「あ、そうなんですね」っていう感じなんですよね。実感としてよく分からないんで。

田家:2月10日に『音楽と契約した男 瀬尾一三』という本が出るわけですよね。こういう本のインタビューで大体聞かれるのが“ヒット曲を生み出すコツ”という質問でしょう。

瀬尾:あーもうね、それが一番困りますよね。コツがありゃそんなに苦労しないよってことなんですけどね(笑)。

田家:でも何か答えないといけないわけでしょう?

瀬尾:そうですね。そういうものって公式がないから楽しいのであって、これに公式があったらその通りやればいいだけになっちゃうじゃないですか。僕の場合は50年続けられたっていうのは、そういう公式がないからであって、無い公式に近づけるっていうことを考えることが長く続けられる秘策かもしれないですね。

田家:公式や秘策を探そうと思った時はありませんでしたか?

瀬尾:仕事を始めて海のもの山のものと分からない頃は、必死にそういうものを探した時もあったと思います。でも無いってことがわかった瞬間に、この前の中島さんの曲じゃないけど空任せです。

田家:「齢(よわい)寿(ことぶき)天(そら)任(まか)せ」ですね。でも、公式があるって思うことが、自分を縛ることにもなりますよね。

瀬尾:そうですね、だから大体皆のあると思ってるのは柳の下のどじょうですね。

田家:なるほど。14曲目長渕剛さんで「とんぼ」でした。

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