シンディ・ローパーの日本独占となる電話インタビューが実現。「自分らしさ」を貫いてきた80年代を代表するポップアイコンにして、大の親日家としても知られる彼女が、10月8日の仙台公演から始まるデビュー35周年ツアーの展望を語ってくれた。
ー今日はありがとうございます。来月、35周年のアニバーサリー・ツアーが始まるわけですが。シンディ:まあ、一応そういうことになってるけど(笑)。それより東京はどんな感じ? 天気は?
ー実は昨夜、大きな台風が通ったんです。東京はまあ大丈夫ですが、千葉では断水や停電が続いてるので、心配なんですよ(編注:電話インタビューは9月10日の夜に行われた)。シンディ:ええっ、台風が? 大変じゃない。
ー毎年のこととはいえ、気候変動のせいか、だんだん被害が大きくなってる気もします。シンディ:気候変動? ああ、“起きてない”はずの地球温暖化ね!
ーアメリカではそうなんですよね。日本にいると実感するんですが。ともかく、ツアーの話をしましょう。今回はどんなライブになりそうですか? 35年のキャリアの集大成的なものになるのか、それともあなたの現在地を見せるようなものになるのか。シンディ:そうね、長いセットになるのは確か(笑)。それが何を意味するかは、観客の受け止め方次第じゃないかな。ただ、新曲もやるし、長い間プレイしてない曲もやると思う。いまこそ意味を持つんじゃないか、って私が考えてるような曲。例えば、坂本龍一と共作した
「イベンチュアリー」は、みんなを繋げるような曲だから。そう、日本にはここしばらく行けてなくて、特に『キンキーブーツ』(※)の上演時に行かなかったのはすごく残念に思ってるの。当時、どうしてもスケジュールが合わなくて。でも、やっと行けることになって、とにかく嬉しい(笑)。
※シンディ・ローパーが全曲を作詞作曲し、2013年のトニー賞で作品賞・オリジナル楽曲賞など6部門を受賞したブロードウェイ・ミュージカル。日本では2016年に初演。ー4年ぶりですよね。シンディ:あと一つ言っておきたいのは、デビュー35周年って言うけど、私が最初に日本に行ったのはそれより前だから! プロモーション来日したのが84年。で、最初の日本ツアーが86年だった。当時、80年代に来日する海外のアーティストは大抵は東京公演だけか、東京と大阪の二箇所だったのよ。でも私の日本ツアーは4都市を回ったし、その次の89年のツアーでは、日本各地を回った最初の西洋人アーティストになった。もう初めての体験だったし、本当に興味深かったの。とにかくその時から大好きなのが、日本の新幹線ね! 電車で旅をすると、いろんな景色やものが見えるでしょう? もちろんものすごい速さだから、日本を早回しで見られる(笑)。
1986年の武道館公演で「タイム・アフター・タイム」を歌うシンディ