ベトナムへの軍事介入に反対し、民主的な社会主義を推進するために、マーチン・ルーサー・キングは大統領選への出馬を考えていた
1967年初頭、アメリカはリンドン・B・ジョンソン大統領の下、エスカレートするベトナムでの戦争から抜け出せなくなっていた。反戦を唱えるエール大学のウィリアム・スローン・コフィン牧師、名高い社会主義者のノーマン・トーマス、後に下院議員となるアラード・ローウェンスタインなど、リベラル派のリーダーたちは、1968年の大統領選挙でジョンソンに挑む反戦の有力候補擁立を決意していた。
彼らは完璧な候補がいると信じていた。その候補とは、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアだった。
1967年の時点で、キングは公民権運動の傑出した指導者という地位を得ていた。また、多くの助言を振り切って、ベトナム戦争への反対についても声を上げていた。犠牲が大きく道義にも反する他国への介入主義によって、アメリカ国内の人種的公正と経済的公正への前進が妨げられているという論点だった。
リベラル派のリーダーたちは、キングなら外からの改革指導者を求める有権者を揺り動かせるという判断から、著名な小児科医で反戦論者のベンジャミン・スポックを副大統領候補として無所属で大統領選に出馬するようキングに求めた。
キングの出馬を望んでいたのは彼らだけではなかった。1967年5月にキングがカリフォルニア大学バークレー校で演説した際には、学生たちが「68年カードを掲げた。
キングは大統領選への出馬について検討したが、最終的に立たないという決断を下した。その理由には、社会の変革はどのようにして起こるものかという点に関する認識が関係していた。そのキングの認識は、現在の大統領選の候補者たちの認識とは大きく異なっていた──おそらく、なかでも最も異なっているのがヒラリー・クリントンだろう。