XTCのテリー・チェンバースが明かす、名曲を支えたドラム秘話と「EXTC」結成の真意

ニューウェイブの時代におけるリズムとの格闘

―『White Music』や『Go 2』を聴き返しながら、ある意味でバリー・アンドリュースの鍵盤よりも、テリーさんが叩くドラムに「ニューウェイブらしさ」を感じました。当時最先端のリズム感覚にどうやって対応してきたのでしょうか?

テリー:当時のロンドンでは、クラッシュやセックス・ピストルズ、ダムド、ストラングラーズ、ジェネレーションXといったバンドが活躍していた。そのなかで例外的に、ダイアー・ストレイツは彼らと異なる音楽スタイルで勇敢に挑んでいた。すでに若い人たちは、ああいったブルースっぽい音楽には振り向かなくなっていたからね。

だから、僕らがライブをするためには、流行りに乗って速い曲をプレイする必要があった。「All Along The Watchtower」(ボブ・ディランが作詞・作曲、ジミ・ヘンドリックスのバージョンが有名)をプレイしたのもその一環で、どういったリアクションが得られるのか様子を見ていた。自分たちがやっていた音楽が王道じゃないのは分かっていて、アップテンポにして流行を取り入れようとしたところはあったね。

しかし、そういったトレンドも早々に過ぎ去り、ニューウェイブやニューロマンティックと呼ばれるものに移り変わっていった。安全ピンやワッペンみたいなものを身に付けたり、髪の毛をツンツンにしたりする人はいなくなり、みんな洒落たドレスを着るようになった。フロック・オブ・シーガルズ、オーケストラル・マヌーヴァーズ・イン・ザ・ダーク、ユーリズミックスといった顔ぶれが台頭してきて、ニューウェイブがシーンを埋め尽くしていった。それでも生き残ったのは僕たち、ストラングラーズ、ブロンディ、トーキング・ヘッズといった、恐竜のように死に絶えたバンドとは少し異なる音楽をやっていたバンドだった。時代の変化に適応できなかったバンドは消えていったんだ。パンクの後に生まれたデュラン・デュランみたいなバンドは、ファッショナブルでハンサムな男の子たちで溢れかえっていただろう? もうブサイクは音楽をやれなくなってしまったんだよ(笑)。



―当時のニューウェイブ・バンドはスカ、レゲエ、ダブも積極的に取り入れていましたよね。テリーさんの演奏にも、そういった音楽の要素が反映されていると思いますか?

テリー:そうだね。僕はタムラ・モータウンに影響を受けていて、特にスネアの感じとか、16分で刻むハイハットとかが好きだった。ああいうビートって踊るのに向いているよね。僕自身はそういったリズムを自分たちの音楽に取り入れようとしていたけど、ギターに関しては、ああいったスタイルとはまた違うところに目を向けていた。要するに自分たちが好きなものをリズム面で取り入れていたんだ。XTCの音楽をそういった視点で聴くと、より理解を深めてもらえると思う。どの曲が具体的にどうというのは難しいけど、例えば「No Thugs in Our House」は、かなりロイ・オービソンの「Pretty Woman」っぽいよね。アンディやコリンはライチャス・ブラザーズのように歌うことはできなかったから、歌に関してその辺りの影響を受けることは全くなかったけど(笑)。




テリー:レゲエやダブに関しては、特に「Living Through Another Cuba」は「キューバ」という西インド諸島の国の名前を入れているだけあって、そういった要素が少し入っているよね。僕らはポリスやUB40と一緒にツアーしたことがあって、ポリスにはレゲエの要素があるだろう? 彼らのおかげで、僕たちもああいった音楽に引き込まれていったんだ。先駆者としてそういうことをやっていた彼らへのリスペクトも込めていたと思う。

XTCの進化というのは実験の積み重ねによるものだった。『Go 2』の「Life Is Good in the Greenhouse」なんて、かなりオープンでヘンな曲だよね。今回の来日でサポートアクトを務めてくれたThe Mayflowersは、入場SEとしてアンディと僕が作った「The Somnambulist」(「Ten Feet Tall」US版シングルのB面曲)を使ってくれた。僕はバスドラムをパルスのように鳴らしているだけで、そこにアンディが音を重ねているんだけど、他のどの曲とも異なる独特な曲だ。あの曲で入場してくれたのは嬉しかったし、XTCが今も語り継がれるバンドであることを再認識したよ。

僕たちは止まることなく進化し続けてきた。それはテクノロジーも同じで、1979年に日本に来たときなんて、ヘッドフォンをつけたインタビュアーが大きなカセットプレーヤーを持ってきて、僕はマイクを手渡されて答えていた。それが今では、こんなに小さなレコーダーを前にして話をしているんだからね。




―1982年のライブ動画を観ていたら、おそらくエンジニアが生演奏をダブ処理するように、リアルタイムでエフェクトをかけている場面がありました。それについて覚えていることはありますか?

テリー:アンディはレゲエやCANに加えて、イギリスのクラブで流れていたヘヴィなレゲエやダブといった音楽に強い興味を抱いていた。彼はそれらの音楽を部分的に拝借し、もっとビッグなものへと展開させていったんだ。彼のソロアルバム『Take Away / The Lure of Salvage』(1980年)は、もともとXTCの曲だったものを異なる視点からアプローチした作品だ。同じレシピによる料理なんだけど、使用する材料の分量が異なったり、少し塩を加えた感じだったような気もするね。

ライブに関しては、とにかくグッドなサウンドを作ることを意識していた。ポリスは3人だけだったからこそスペースがあり、それを埋めるためのグレイトなギター、ベース、ドラムが必要だった。彼らはドラムにエコーを加えたりなんかして、まるで6人くらいのメンバーでプレイしているような、満ち足りたサウンドをプレイしていた。アンディもおそらく彼らに影響を受けていたんじゃないかな。

その一方で、彼はサウンドを削ぎ落とすようなことも好んでいて、時にはやり過ぎたこともあった。EXTCも現在は3ピースでやっているから、曲によっては骨格的な部分でプレイしているところがある。けれども歌詞、メロディ、コード、ドラムがしっかりと存在していれば、曲そのものはしっかりと存在感を持っていられるものだよ。今の僕らはキーボードを加えたことはないけど、誰にも「何かが欠けている」と言われたことがないからね。



Translated by Tommy Molly

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