ブライアン・イーノが歌う「感情の時代」 最新作『FOREVERANDEVERNOMORE』を考える

 


Photo by Cecily Eno

私の中にいる「私たち」の声


─さらに本作はイーノの17年ぶりの歌ものアルバムですけど、今までの歌もの作品にあったポップさは希薄でして、それはまさに冒頭でPitchforkのレビューが指摘した通りだと思うのですが、本作に限らず、先にあがった音楽家たちの作品を聴いていても、「歌もの」と「アンビエント」の境界線が曖昧になってきている感じがとてもします。

17年前の歌ものアルバム『Another Day On Earth』が出たときに、イーノは「音楽で一番難しいのは作曲だ」と言っていますが、特にメロディと歌詞のある「歌」は、環境的なものであることが難しいものですから、それをどうサウンドのなかに置くのかは、確かに難しいのかもしれません。

─歌が出てきた瞬間に、どうしたってその他の音が背景になってしまいがちですよね。

それこそ、クレア・ラウジーやモア・イーズは、最近盛んに歌ものにチャレンジしていますが、アンビエント的な感覚で歌やメロディを扱うことを実践している感じがあって興味深いです。鼻歌のような、きちんと構造化される前のメロディをフィールドレコーディングとして置いてみたり、あるいはオートチューンを用いて声をバーチャル化したり、と面白いですよね。




─『FOREVERANDEVERNOMORE』は、前半はゴスペルや聖歌を思わせる歌でしたが、後半はオートチューンが印象的に使われていました。そもそもイーノの声ってオートチューンを使わずとも、オートチューン感ありますよね。なんというか実体感のない声です。

無機質というか、中性的というか。聴いていてどういう気持ちになって良いのかよく分からない声。

─ちなみに、ゴスペルとオートチューンというキーワードで言いますと、ジェイムス・ブレイクがデビューした頃、ゴスペルのレコードを聴くのが好きだとインタビューで語っていた記憶がありますが、イーノもゴスペル好きで、今も自分のアカペラグループで毎週火曜に歌っているそうです。

「多声性」というものへの興味ということなんでしょうかね。


イーノが参加した、ジェイムス・ブレイク「Digital Lion」

2012年にエストニア合唱団のコンサートを観て、いたく感激したという記事も残っていまして、そのステージにはイモージェン・ヒープが参加したそうで、彼女の「Hide And Seek」をクワイアとともに歌ったようです。ハーモナイザーを駆使した、いわゆる「デジタルクワイア」の先駆けとなった17年前の名曲です。ちなみにこれは余談ですが、イーノの愛弟子で新作にも参加しているジョン・ホプキンスとレオ・エイブラハムズは、キャリアの出発点がイモージェン・ヒープのツアーバンドだったんですね。

面白いですね。ハーモナイザーやオートチューンの面白さは、その分人性にあると思うんです。トラヴィス・スコットのオートチューンのかかった歌を聴いていると、比喩的に言いますと、SNSのなかで分裂してしまっている自分が表現されているように感じるんですね。




─ああ、わかります。デジタル空間上の自分は、自分だけど自分じゃないみたいな、そういう感覚ですよね。

そういう意味では、イーノのオートチューンも、自分の声を、自分というひとつの主体に収斂されることを拒んでいるところがあるようにも感じます。先ほどの腸内細菌の話ではないですが、内なる他者の存在を認めてしまうなら「わたし」というものは「ひとつの声」に還元されてはならないはずで、むしろ、それは自分のなかの知らない他者の声も含めた、「私たちの声」として表現されないといけないということなのかもしれません。

─私の中にいる私たち。

イーノが、「委ねること」といったキーワードでずっと批判してきたのは、ある意味の近代的な〈個人〉なんだとも言えるかと思います。

─「主体性をもった一貫性あるただひとつの個体であれ」という圧力ですよね。

はい。「説明責任」といったことばがもたらす圧のなかで、みんなが必死になって自分というものを「ひとつの主体」のなかにまとめ上げなきゃいけないという要請はますます強くなっているように感じます。「社会的分断」といったことばが昨今頻繁に語られますが、そうした要請が強まれば強まるほどますます分断が加速していくのも当然ですよね。

─そりゃそうですね。みんながひたすら自分の一貫性にこだわって、変わることができなくなっていくわけですからね。これはいわゆるキャンセルカルチャーにも通底する問題ですね。

前回Rolling Stone Japanでインタビューした際に、イーノは「『川辺にしばらく座って、川の水が流れるのを一緒に眺めよう』という世界を提供する音楽があってもいい」と語ってくれましたが、当事者研究やケアの研究者の熊谷晋一郎さんは人のアイデンティティ/トラウマについてこんなことを語っています。

 アイデンティティには「永続性」と「連続性」のふたつがあるということです。変わることなく自分はこういう存在だと「パターン」として理解される永続性と、一回しか起きないけれど経時的に連続している連続性。そのふたつがアイデンティティを構成します。

─ああ、なるほど。言われてみると川のモチーフですね。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」って。『方丈記』ですね。

イーノには「By This River」という曲もありますが、ここでいう川は、もしかすると自分自身のことなんですね。誰かと一緒に、それぞれが自分という川を眺める。そういう歌なのかもしれません。




ブライアン・イーノ
『FOREVERANDEVERNOMORE』
発売中
国内盤CD:日本限定ボーナストラック「Breaking Down」収録
再生・購入:https://BrianEno.lnk.to/al_FOREVERANDEVERNOMOREWE

 
 
 
 

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