ブライアン・イーノが歌う「感情の時代」 最新作『FOREVERANDEVERNOMORE』を考える

 

Photo by Cecily Eno

「感情の動き」に耳を澄ます


─ただ、そこでイーノが言っている「感情」というものは、もはやただのクリシェとなりつつある「エモ」や「共感」と本質的には同じだとしても、より深みのあるものと考えられていそうです。

音自体には、そういう意味でのウェットな共感性や、感情に基づく連帯みたいな響きはありませんから、やっぱりここでいう「感情」は、いわゆる「エモ」に、もう少し複雑な襞(ひだ)を与えたものには違いないかと思います。

─そうですね。

ここでいう「感情」というものは、身体的な反射としての感情というよりも、むしろメンタルヘルスの文脈で語られるような心の動きのことを言っていると考えた方がいいのではないかと思うのですが、そこでは、ある感情と過去に負った「傷」や「痛み」といったものが深く関わり合っていると考えられているのではないかと思います。そうした観点から「感情」というものを考えていくと、それは常に過去や記憶というものと結びついた極めて固有性の高いもので、それは「喜怒哀楽」の分類にすんなりと収まるようなのっぺりしたものではないはずなんです。

─なるほど。

韓国ドラマを観ていますと、やたらと食事のシーンが出てくるのですが、驚くのは、そうしたシーンが単なる挿話として置かれるのではなく、むしろ物語の山場となる場合が印象として少なくないことです。そこでは食事というものを通して、それまでの過去の物語が一気に凝縮して涙として表現されることになったりするのですが、そこで表出する「感情」というものは、悲しいとか嬉しいとか一言で言い表せるようなものではなく、むしろことばにならない複雑さを湛えたものなんですね。

─まさに「万感の思い」ということですね。

はい。料理というものは、そうした千々に乱れる感情をひとつに凝縮する媒介の役割を果たすことになるのだと思うのですが、イーノが語る「感情の商人としてのアーティスト」というものは、まさにそうした媒介をつくり出す人であり、その人たちが行う営為を指しているのだろうと感じます。

─その意味では料理人は最も身近なアーティストと言えそうですね。

そうなのかもしれません。

─ちなみにいまお話された韓国ドラマって具体的には何を指して言ってるんですか?

念頭にあるのは『サイコだけど大丈夫』で、このドラマはタイトルからしてお分かりいただける通りメンタルヘルスの問題を扱ったドラマですが、印象的な食事シーンがいくつもありますが、大人気の『ウヨンウ弁護士は天才肌』にもいい食事シーンがありますし、『シスターズ』でも大根の若菜のキムチが重要な役割を担っています。個人的には『操作された都市』という映画で、シム・ウンギョンがつくったご飯を、主人公のチ・チャンウクが食べるシーンが、めちゃくちゃ好きです。

─観てると、こっちも食べたくなりますよね。

そうなんですよね。



─いずれにせよ、記憶や傷と深く結びついたものとしてある感情は、簡単に癒されるものでもないどころか、それを明示的に語ることができるものでもない、ということですね。

だろうと思います。しかもそれは個別にパーソナルなものですから、それを抽象化して共有可能なものにするということは、決して簡単なことではないはずです。ですからイーノが感情というものを本作で扱ったと言っても、それは単純にイーノが自分自身の感情を表出させたということではないですし、ましてや、聴いた人たちが「エモい」気分になれる何かをつくるということでもないはずです。

─といって、ものすごく客観的に色々な感情を音楽で描写したという感じもしません。

近年、特にコロナ禍を経て、アンビエント音楽が改めて非常に面白いものになってきているように思いますし、また、フィールドレコーディングも人気だと言います。例えばフローリスト(Florist)や、クレア・ラウジー(Claire Rousay)、モア・イーズ(More Eaze)、ペリラ(Perila)といったアーティストの作品を聴いていると、音楽スタイルはバラバラですが、共通して自分自身の感情と環境とがどういう風に関わり合っているのかを探っているような感覚がある気がします。ある意味で「エモい」のですが、少なくとも単純な感情のエクスプレッションにはなっておらず、むしろ、自分の感情の動きを聴いて測定するための行為として、音楽づくりがあるような感じがするんです。

─自分の心の動きや感情が、自分のコントロールの外にある、みたいな感覚がありますよね。

そうなんです。自分の感情が自分の知らない未知のものとしてあって、それに耳を澄まそうという態度なんですよね。一種の観察と言いますか。



 
 
 
 

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