映画『パラサイト 半地下の家族』アカデミー賞作品賞受賞が革新的である理由

第92回アカデミー賞にて『パラサイト 半地下の家族』で作品賞を受賞したポン・ジュノ監督(Photo by Evan Agostini/Invision/AP/Shutterstock)


ここでフォンダのシーンに改めて戻ってみよう。封筒を開き、一呼吸置く。作品賞として『パラサイト〜』が呼ばれた時の幸福感とフォンダの言葉が完璧にシンクロしていた。作品賞に十分値する良作はいくつもあった(『ジョーカー』だってそうだ)。それなのに、あらゆる予想を覆して審査員が文芸作品の実写化、ハリウッドをテーマにしたハリウッド映画、“エッジー”なメガヒット作、俳優たちの演技が光るドラマをはじめとするアカデミー賞らしい選択肢ではなく、格差を描いた外国語映画を称え、作品賞という栄誉を授けたのは革新的だった。それは、アカデミー賞授賞式では感じることがない興奮であり、唯一無二の感覚、初めての感覚だった。なぜなら、もっとも栄えある作品賞を外国語映画が初受賞したのだから。

そして長年映画をパスポートのような存在としてとらえてきた人々に対し、今回の受賞は、アメリカの映画スタジオとスクリーンといったループの向こうに新しい世界が広がっていること、慣れ親しんだ文化や映画の好みから視野を広げることのメリットを教えてくれた。『パラサイト〜』を観ることは、映画の歴史——ヒッチコックからスコセッシにいたるまで——をたくさん吸収してきた芸術家の作品を観ることである(授賞式のスピーチでポン監督が受けたスタンディングオベーションといったら……すみません、ちょっと落ち着きます)。同時に、同作は極めて韓国的でありながらも徹底して普遍的であり、特定のジャンルやスタイルに落ち着くことがないのに一貫性があって親しみやすく、タイムレスでありながらも、ある瞬間を明確に切り取っている。文化の垣根を超えた珍しいヒット作として出発した同作は、言葉や字幕というハードルにもかかわらず、人々の共感を得た。ティーンエイジャーの娘と70代の母の両方が称賛する映画は、ミニシアター系あるいはオタク向けという境界を超え、人々の意識により広く浸透している作品だと言っていいだろう。

今回の受賞によってより多くの人がポン監督の過去の作品を観る(観てください!)、あるいは韓国の映画(観てください!)、またはアジアの映画や外国語の映画(観てください!)をもっと観るようになるかはわからない。『パラサイト〜』がアカデミー受賞作となったいま、いままで以上にたくさんの人が同作を観るだろうし、同作が名作の仲間入りを果たすチャンスも、より強いものを求める人々のゲートウェイ・ドラッグとなる可能性も飛躍的に増した。ある日突然、人は“国際映画”に対する食わず嫌いを感じなくなるかもしれないし、他者を“異世界”の存在にように感じなくなるかもしれない。アジア人だらけのステージの異質さに慣れ、以前よりも当たり前のように感じるかもしれない。そしてある日突然、アカデミーは“ローカル”色を弱めて、よりグローバルになった。ある日突然、人は世界をいままでとは違う広い視野で見られるようになるかもしれないし、世界を変えるための一歩を踏み出すかもしれない。少なくとも、人はこうしたすべてを想い描くことができる。だってそうだろう? 映画は夢をインスパイアするためにあるのだから。

Translated by Shoko Natori

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