映画『名探偵ピカチュウ』は、これまでの典型的なポケモン映画のやり方を覆す一作である。
アメリカのファンの間では、ポケモン映画のシリーズはマンネリ化しているという認識だ。シリーズの主人公アッシュ(日本版ではサトシ)が伝説のポケモンに出会い、そのポケモンは決まって人間を嫌う。しかしアッシュはポケモンに人類は良いものだと説得する。
酷評された『劇場版ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』、高評価だった『劇場版ポケットモンスター 幻のポケモン ルギア爆誕』、二度と話題に上がらない『劇場版ポケットモンスター 結晶塔の帝王 ENTEI』。いずれも根底にあるものは同じだ。
『名探偵ピカチュウ』は、ポケモン映画で最初の実写映画であり、かつ斬新で、心温まる作品である。
ただ、ディプロが演じるポケモンバトル解説者、リタ・オラが演じる科学者には説得力がない。劇中に登場するいくつかの道具の必要性もプロットに左右される。そして、ライアン・レイノルズ演じるピカチュウはカフェイン中毒で、2時間近くに渡って安っぽいジョークを言い続ける。ポケモン好きには何ら問題ないが、それらを寄せ付けない人もいるかもしれない。
この作品は、原色のカートリッジやゲームソフト、そして昔懐かしいアニメに心を捉われ続ける大人たちが、万華鏡のようなノスタルジアを感じることのできる映画だと言えよう。『名探偵ピカチュウ』のクリエイター陣は、この想いを軽んじることなく、24年以上にも渡って構築された世界を尊重し、コンピューターによって生み出された作品に魂を与えるという、物語的であり芸術的な課題に真剣に取り組んでいる。それは、人間と動物の強い絆に共感する映画を作ることであり、それを実現させるために相当なエネルギーを注いでるはずだ。
クリエイター陣にはあらためてリスペクトを捧げたい。