イーグルス・オブ・デス・メタルが語る、パリ同時テロ悪夢の一夜

U2のパリライヴにゲスト出演した翌日、フロントマンのジェス・ヒューズらメンバーはバタクラン劇場を訪れた(David Wolff- patrick/Getty Images)


ユニバーサル ミュージック グループ傘下のマーキュリーで、プロジェクトマネジャーを務めていたトーマス・アヤド、マーケティング担当重役のマニュ・ペレズ、マーケティング部長のマリー・モッサーもまた犠牲となった。個人的にイーグルス・オブ・デス・メタルを支持、ヨーロッパでの契約を確保する手助けをしたアヤド。そんな彼は、2015年早く、パリでリードシンガーのジェス・ヒューズとも対面していた。「彼はイーグルスの大ファンだったんだ」とユニバーサルの取締役クエンティン・ペストルは言う。事件の翌日、U2のボノはラジオで、犠牲者についてこう語った。「彼らは俺たちの仲間だ」(事件後、パリでのライヴを延期したU2。その振替公演は12月6、7日に行われ、7日の公演にはイーグルス・オブ・デス・メタルがゲスト出演した)。

イーグルス・オブ・デス・メタルは残りのヨーロッパライヴの日程をキャンセルした。彼らの言葉によると、パリの夜に味わった恐怖と「折り合いをつけるべく、いまだ努力している」そうだ。イーグルス・オブ・デス・メタルは、ハードロックバンドであるクイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジから派生したものと見られることが多い。1998年、クイーンズのフロントマンであるジョシュ・オムと、子供の頃からの友人であるヒューズによって結成されたイーグルス。彼らはちょうど、7年ぶりのアルバム『Zipper Down』をリリースしたばかりだった。

グループでドラムを担当しているオムは、ヨーロッパライヴには参加していなかった。というのも、妻であるブロディ・ダルとの第3子が誕生する直前だったからだ。キーズのドラマー、カーニーは彼の代わりを務めるよう打診されたが、断った。「6週間のツアーだったから」とカーニー。「もっと短かったら、引き受けていたかもしれない」。カーニーの推薦で、ジュリアン・ドリオがドラムを務めることになった。パリ公演はそんなツアーの半ばだった。

バタクラン劇場での公演の序盤、とても興奮していたヒューズは、詰めかけた観客に向かって呼びかけた。「会場を見渡したら、この言葉しか思い浮かばなかった。「ノザミ(我らが友よ)」」。観客席にいたステファン・トゥルヤンによると、「バンドの演奏はすごく良かった。ジェスも、曲の間に冗談を言ったりしていたよ」。バンドが『Kiss the Devil』の演奏に入ったところで、カラシニコフを持った男たちが劇場の前扉から入り、銃撃を始めた。バンドメンバーのヒューズ、ドリオ、マクジャンキンス、ギタリストのデイヴ・キャッチングとエデン・ガリンドは、すぐにステージから逃げ、どうにか会場を抜け出した。「男が2人、前にいた。やつらは情け容赦なく観客に弾を浴びせていた」とドリオ。「これまでに見たことがないくらい、ひどいものだった」

今回のテロに関して、イベント業界は素早い対応を見せた。数日後、イタリアのボローニャで行われたボブ・ディランのライヴには金属探知機が設置され、ディランの楽屋の外には武装した警備員が配置された。プリンスとフー・ファイターズは、ヨーロッパツアーをキャンセル。また、ラム・オヴ・ゴッドもヨーロッパでのライヴを中止した。ランディ・ブライズはこう書いている。「俺自身や俺の行動に関して否定的なやつには対処できる。だが、「ラム・オヴ・ゴッドのコンサートで数百人が死亡。情報筋によると、危険な兆候があったにもかかわらず、バンドはそれを無視」といったニュースには我慢できない」。業界の古株らは、ライヴでの警備手続きを吟味する必要性があると考える。「多くの会場は金属探知機や爆発物探知犬を備えている。だが安全のため、さらなる検査が必要だろう」。そう語るのはプロモーターのロン・デルセナー。「特別な装備を導入しないと、大きなライヴは行われなくなる。これが我々の住む世界で、今なお状況は悪くなっている」

しかしヒューズは、音楽をやり続けると誓った。「俺はびびってるかもしれないし、ひでえ思いをしたかもしれない。でも俺は生きてる」とヒューズ。「バタクラン劇場での公演が再開される時には、最初にプレイするバンドになりたい」

Translation by Shinjiro Fujita

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