“スローが血に流れてるんだ”と歌うようにして、ゆったりと唱えるレナード・コーエン。この歌詞のとおりに、13作目のスタジオ・アルバム『ポピュラー・プロブレムズ』は、2008年に長丁場の本格的ツアーを再開した、遅咲きスターの健在ぶりを大いに誇示している。何しろ、本作のリリース2日前に80歳になったこの孤高の賢者は、女優マギー・スミスよりもさらに3カ月年上にして、禅の修行までこなしたユダヤ系詩人という複雑怪奇なツワモノだ。ダークな曲作りに関して、彼の右に出る者はいない。

贅を尽くしたしっとりとジャジーな音楽に乗せて、欲望が、死が、信仰が、9曲にわたって闇夜を紡いでいく。その思いの先にあるものが、暴力の歴史であれ(「オールモスト・ライク・ザ・ブルース」)、世の中のリズムであれ(「スロー」)、ざらりと卑しげな御大お得意のささやきは、耳に何とも心地よい。

そしてさすがはレナード・コーエンだ。美魔女ミューズとの出会いにも事欠かぬ人生だったようで……。とりわけ色香が濃厚に漂うバラード「ア・ストリート」は、なかでも哀しく、何年も彼の泉を潤してきた恋人への、痛恨の別れを見事に綴っている。

歌詞のベスト・ワンは、“軍服を身につけて市民戦争で戦う君/あまりにカッコよくて、君がどっちの側でも構わない”。そんな女性に最後のさかずきを掲げるレナード・コーエンは、世界に向けておやすみを言っているかのようにも感じる。それも、むせ返るほど熱いおやすみだ。この先も彼のペースが落ちる気配は、まだまだない。

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