G-FREAK-FACTORY 茂木洋晃が語る、乱世におけるロックの役割

G-FREAK-FACTORY:左から3人目が茂木洋晃

地元・群馬を拠点にし続けながら活動を続けるG-FREAK-FACTORY。コロナ禍を経てリリースされた自身の揺れる感情を赤裸々に表現したニューアルバム『HAZE』について、そして自身が主催する9月21日、22日開催の『山人音楽祭』についてフロントマン・茂木洋晃に話を聞いた。

―まずは9月4日に発売になったニューアルバム『HAZE』について聞かせてください。4年振りのアルバムということになりますが、4年かかったのはコロナ禍があったからですか?

もともとシンプルに4年サイクルぐらいでやってたんです。だけど、この4年は、今までの4年と違って激動の世の中だったじゃないですか。みんなすごいストレスフルで、今までのモラルみたいなものが欠片もないような、見境なく寂しい時代になったんだなってすごく感じたんです。それで、本当はコロナ前と渦中、全部のマインドをコロナ渦中に出して、明けのマインドをアフターコロナで出して、みたいなことができたら良かったんですけど、結局その辺の感情や質感が入り乱れたアルバムになりました。まぁ、跨いでしまったというか……それが今回出来上がったアルバムの時間軸の、俺の印象です。

―なるほど。

でも、それを包み隠さず出してもいいなと思って。シングルで出した「Dandy Lion」って曲は、コロナ渦になってすぐ書いた曲だったんですけど、そこからアフターコロナを経て、今の周りの環境を含め、自分の気持ちも少なからず変わってると思うんです。周りの人たちも変わってるから、曲の捉え方も全然違うだろうし。 その狭間に出せた1枚としては、すごくありがたく出させてもらったなって思います。

―ビフォアー、最中、アフターとコロナ禍を跨いで3つの気持ちが入り乱れたアルバムなんですね。で、単刀直入に聞くと、ビフォアーってどんな心持ちだったのですか? それと、最中はどう思っていたのか? そして、改めてアフターの今はどんな気持ちですか? もちろんアルバム収録曲に託されてると思うんですが、ご自身ではどう総括しているか聞かせてください。

ビフォアーに関しては、あくまで個人的なことですが、人生レベルで考えて、あと何年バンドやれるんだろう?っていうことも考えいたし、ここまでバンドに、田舎で時間を費やしてきたこと。要は過去誰もやったことのないことをやりたいなっていう。しかも、それをローカルにいたからが故できたっていうことを、必死こいて正解にしようとしてましたね。

コロナ禍になってからは、〈ソーシャルディスタンス〉だとか〈ワクチン〉とか〈副反応〉とか……聞きなれない言葉がたくさんでてきて、時代がものすごく走っていった。で、走っていった時代と、人間の進歩するスピード感が、ちょっとずれたなって感じましたね。それとコロナ禍は、今までできなかったことをやろうってことに必死でした。まぁいずれ明けるだろう、どういう風に明けていくのかわからないけれど、明けていく時に何かひとつでもふたつでもお土産持っていきたいなって思ってました。タダじゃ起きねえぞ、この野郎って。バンドがすごくコンディションがいい状態の時にコロナになっちゃったんで、そういう星の下にいるのかなって思いながらも、今までもバンド活動をやることにたくさん弊害とか、問題はあったから、このぐらいじゃへこたれないぞっていう気持ちもありましたし。これまでおざなりにしてたことに時間を費やしたりしたんです。要は、もう一回地元の良さに目を向けてみようとか。そういう時間はすごく良かったですね。その後に、コロナが明けて、あ、こんなに走ったんだなっていうのが今の印象です。

―ええ。

俺、結構パソコンとかにリリックとか好きな言葉とか、いいなと思った言葉をずっと溜めてたんですけど、今回のアルバムのリリックを書くのにもうそれは一切通用しないなと思ったんです。今更これを言っても、もう世の中のマインドが違うなって。今までG-FREAK-FACTORYっていうバンドというか、俺個人が言いたかったことって、日本人に対して、日本の言葉で、このままじゃヤバいよなっていうことをずっと言ってきたつもりだったんです。でも、そのヤバいっていうのにみんなコロナ禍で気づいた。だから、今はどこに向けて書けばいいんだろう?って。今回のアルバムで、作詞に取り掛かった時に、そのこれまで書き溜めてきた言葉が、今これを言ってもしょうがないなっていうものばかりだったから、全部捨てたんです。そこにぶら下がっていたら曲が進まないから。前にパソコンが飛んで全部消えたことがあるんですけど、すべてなくなったのはそれ以来初めてですね。アルバムを出して間もないけど、ここから先自分はどこ行くんだろう?ってことをもう考えています。G-FREAK-FACTORYの音楽として、リリックとして、どこに行くんだろう?って。

―どこへ行くんですか? 気になります。

今まではテクノロジーの発展とか、スピード感に、一喜一憂して、嬉しい、こんなこともできるんだ、すごいねって言ってたけど、コロナ禍で、そのスピード感があまりにも速すぎて、全然嬉しさがないというか……。もう怖さしかないなって思うし、人間が必要なくなってきているんじゃないかとすら思うんです。人間が人間のために作ったものに支配されて……要はヒューマンエラーだと思います。核兵器以来じゃない? 今までもきっとそうだったんだと思うけど、コロナ禍で暗闇の中に入った時に、人間が作ったものに支配される状況一気にドンっていっちゃった感じが俺はすごくしていて。その背景には戦争もあって。人間vs何かってなれば……、例えば強い敵が出れてくれば、人間同士で争ってる場合じゃねえなっていうとこに行けるのかなとか、そんなことも考えてます。

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