ブルース・スプリングスティーンのデビュー50周年、「ボス」が生んだ永遠の名曲を振り返る

 
社会的なテーマとの向き合い方

LP5枚組という常識破りのボリュームで発売されたライブ盤『THE “LIVE” 1975-1985』(86年:米1位)からのシングルも忘れがたい。戦争を全否定したエドウィン・スターの名曲「ウォー」のカバー(米8位)は、当時の大統領、ロナルド・レーガンの中米などへの外交政策に“ノー”を突きつける鋭いステートメントとなった。このシングルでも、冒頭にブルースのこんなMCが前置きされている。

“60年代、ぼくたちは、毎晩テレビで戦争のニュースを見ながら大きくなった。友だちの多くがその戦争に行った。次の歌を、会場にいるすべての若者のために歌いたい。もし君が10代なら……、というのは、戦争に行った友だちの多くは17か18だったんだ。あの頃は、いろんなことに対して自分がどう感じているか考える機会がなかった。次に戦争が起これば、戦争に行くのは君たちなんだ。その時、自分が本当にどうしたいかを知るためには、多くの情報が必要だ。というのは、1985年の今、この国の指導者なんかを盲目的に信じていたら、殺されてしまうよ”

かれこれ20年近くセットリストから外れている「ウォー」だが、この曲が再び歌われるタイミングがあるとしたら、消化性潰瘍を治療するため来年に延期されたツアーが再開されたときになるのかも……今の世界情勢を見ていて、そう考えるファンは少なくないのでは。そういうアクションを実際にできてしまう数少ないロックシンガーだし、ファンから求められる役割に対して、彼はいつも自覚的で誠実だった。


「ウォー(Live)」 from 『Live 1975-85』

しかし『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』のメガヒット以降、自身のイメージがすっかり固まってしまったことに対する反動は少なからずあったようで、ブルースは社会的なテーマから少し距離を置き、自宅に設置したスタジオで『トンネル・オブ・ラヴ』(87年:米1位)に取り組んだ。ブルースの姿勢が軟化したと批判する声もあったが、今では私小説風で告白的な内容がリリース当時よりずっとポジティブに評価されているアルバムだ。本作から先行シングルに選ばれた「ブリリアント・ディスガイズ」(米5位)を、ザ・ルーツのクエストラヴは2020年にこう評した。

“筆者がアルバム『トンネル・オブ・ラヴ』を買ったのは16歳の時だった。大ヒットアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に続く本作について、特に批評家をはじめとする多くの人たちは全く期待していなかったと思う。しかし批評家の言うことには、いつでも騙されてきた。(中略)「ブリリアント・ディスガイズ」でスプリングスティーンは、あからさまに夫婦生活の終わりを宣言している。セレブがもてはやされる今の時代にあっても、有名人のほとんどは私生活を必死で隠そうとする。しかし彼は「僕らは精一杯やった。でもだめだった」という感じだった。問題は解決しなかったのだ。音楽からこのような率直さや弱さを感じられることは、めったにない”


「ブリリアント・ディスガイズ」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』


「トンネル・オブ・ラヴ」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』

当時の妻、ジュリアンヌ・フィリップスと離婚が成立したのは88年だが、本作に収められた曲のあちこちに、結婚生活が破綻しかけていることを示唆する箇所がある。タイトル曲「トンネル・オブ・ラヴ」(米9位)はパートナーに対する不安をジェットコースターになぞらえて暗喩的に描いているように聞こえたし、「ワン・ステップ・アップ」(米13位)でも日々同じような衝突を繰り返すことの徒労感が窺えた。クエストラヴは前述のテキストでマーヴィン・ゲイの『離婚伝説』などを例に挙げて語っているが、ブルースにとっても深刻な時期の産物だったことは間違いない。

なお、2度目の来日となった88年9月、人権宣言40周年を記念して行われたアムネスティ主催のイベント『ヒューマン・ライツ・ナウ!』(ピーター・ガブリエル、ユッスー・ンドゥールらと共演)に先駆けて、日本ではこのアルバムから「タファー・ザン・ザ・レスト」と「スペア・パーツ」の8cmシングルCDが来日記念盤として同時発売されている。79年に反原発イベント、ノー・ニュークス・コンサートに出演して以降、ブルースは社会的な取り組みにも積極的になっていった。


「タファー・ザン・ザ・レスト」 from 『トンネル・オブ・ラヴ』

 
 
 
 

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