ブルース・スプリングスティーンのデビュー50周年、「ボス」が生んだ永遠の名曲を振り返る

 
セールス的ピークを迎えた80年代

ブルースは70年代後半~80年代前半にかけて、日本の音楽シーンにも絶大な影響を与えている。従来のフォーク/ニューミュージックの文脈からはみ出る作風の新しいシンガー・ソングライターたち……浜田省吾、佐野元春、尾崎豊といったアーティストたちにインスピレーションを与えたのは『明日なき暴走』以降のブルース。詞・曲のみでなく、バンド編成からライブパフォーマンス、立ち居振る舞いやアティチュードにいたるまで、ブルース&Eストリート・バンドのあり方が参考にされ、ロールモデルのひとつになったことは疑いようがない。

ブルースにとって初めての全米トップ10入りシングルになった曲が「ハングリー・ハート」(米5位)。ストーリーテラーとしての深さを見せつけた大作『ザ・リバー』(80年:米1位)が高く評価される一方で、同作からこの曲をポップマーケットに送り込み、新たなファン層を開拓した。実はラモーンズに提供するつもりだった曲であることも、今ではよく知られている。60s R&Bへの愛が色濃くにじむこの曲と、ルーツとしてのR&Bを掘り下げた現時点での最新スタジオ・アルバム『オンリー・ザ・ストロング・サヴァイヴ』(2022年)を並べて見ると、ブルースにとっての「R&Bのツボ」がどの辺にあるのかつかみやすそうだ。デトロイトのモータウンからフィラデルフィア、シカゴ、サザン・ソウルまで、ラジオで熱心にR&Bヒットを聴いてきた人ならではの感性が「ハングリー・ハート」には満ちている。

『ザ・リバー』の制作中に萌芽したカントリーミュージックや物語歌への興味は、次作『ネブラスカ』(82年:米3位)に結実した。デモのつもりで自宅録音した弾き語り中心の音源を、試行錯誤の末そのままの形でリリースすることに。アメリカ社会の暗部に踏み込んだ極めてリアリスティックな筆致の楽曲が並ぶ本作は、バンド編成のアルバムとは異なる視点をブルースに与え、のちの『ザ・ゴースト・オブ・トム・ジョード』(95年)や『デビルズ・アンド・ダスト』(05年)へと繋がっていく。日本やヨーロッパ、オーストラリアなどでシングルが発売された「アトランティック・シティ」は、本人が出演しないモノクロのビデオクリップが、陰鬱な詞世界とリンクして重い余韻を残す。


「ハングリー・ハート」 from 『ザ・リバー』


「アトランティック・シティ」 from 『ネブラスカ』


その『ネブラスカ』と制作期間が重なっている『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』(84年:米1位)は、実に7曲がシングルカットされて全て全米トップ10入り、全世界で3千万枚以上を売るモンスターアルバムとなった。ブルースが“ヒットする曲”を狙って作ったダンサブルな第1弾シングル「ダンシン・イン・ザ・ダーク」(2位)は、ライブで取り上げたジュリアン・カサブランカス(ザ・ストロークス)をはじめ多くのアーティストがカバーしている。ディスコ・ロック味がある「カヴァー・ミー」(7位)は、もともとドナ・サマーに提供するつもりだった曲を温存しておいたもの。ジョニー・キャッシュを思わせるテイストの「アイム・オン・ファイア」(6位)は、日本では全ファン待望の初来日公演(85年 4月)に先駆けて「来日期待記念盤」という触れ込みでシングルが発売されたことが懐かしい。

他にも、歌詞を踏まえて野球にちなんだビデオクリップが作られたポップなロックチューン「グローリィ・デイズ」(5位)、軽快な曲調とは裏腹にビターなつぶやきが歌われる「アイム・ゴーイン・ダウン」(9位)、シンセサイザーを敷いた叙情的な「マイ・ホームタウン」(6位)と、曲のバリエーションが豊富。ソングライターとしての引き出しの多さを見せつけたアルバムとも言えるが、そんな本作において、ベトナム戦争の帰還兵が社会復帰できない状況に言及したタイトル曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」(9位)が、『ネブラスカ』の余韻を感じさせる。歌詞の意図を汲み取らずに単純な愛国ソングと思い込まれることもあり、ブルースにとっては最も誤解された曲になった。


「ダンシン・イン・ザ・ダーク」 from 『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』


「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」 from 『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』

 
 
 
 

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