琉球古典音楽師範・よなは徹と学ぶ、島唄と沖縄の音楽の歴史

夜明け / よなは徹

田家:これは作詞作曲がスピッツの草野正宗さんですね。編曲と演奏もスピッツなんですよね。

よなは:そうなんです。演奏もスピッツのメンバーにやっていただきまして。

田家:よなはさんの2007年のアルバム『宴 ~party~』の中に入ってる。これはどういうアルバムだったんですか。

よなは:いろんな方のサポートというかゲストで三線を入れる機会をいただいたんですね。2005年にスピッツさんのアルバムの『スーベニア』っていうアルバムに収録されている「ナンプラー日和」という曲に三線を入れたのがきっかけで。このときぐらいにいろんな方の伴奏させていただいたんです。そのときにいろんな人のアルバムに演奏入ってるんだから、今度は自分自身のアルバムにこの人たちを呼ぼうかっていうことで、そこで宴かなということで、スピッツさんの正宗さんにも曲を書いていただいて。他にもいろんな方に曲を書いていただいて作りました。

田家:「満月の夕」もカバーされてる。

よなは:「満月の夕」も、僕が2001年にデビューして、東京に出るのが2002年ぐらいなんですけども、『豚の報い』という映画があって、そのときのテーマソングが「満月の夕」で、いろんな沖縄料理の店とかいくと皆さんこの曲を弾いて歌ってたんですよ。でも、ブームが過ぎるとだんだん聴かなくなるんですね。残ってる曲は残りますけど。それで、良い曲だったのになと思いながら、カバーして歌ってみようかなっていうことでライブで歌ったら結構反響があったんですよ。そしたらその翌年が東日本大震災になっちゃって、僕軽いつもりで歌っていたのに、この曲をずっと歌わないといけないなって思って真剣に録音しようと思って、その後に録音しました。

田家:J-POPと島唄っていうのは、どういう距離感にあるって思ってらっしゃる。

よなは:昔は完全にジャンルが違うと思ってましたけど、今はもうJ-POPも島唄も一緒かなって思うようになりましたね。普通にギターであったりベースっていうのは手に入るようになってますし。演奏も知名さんであったりりんけんさんであったり、あの方たちがすごいご苦労をなさって、いろいろ島唄にコードを付ける、和音をつけるっていうのをやって。当時は民謡界の大御所たちからやっぱりお叱りというかあったと思うんですよ。いろんな所に言われながらもずっとやってこられたと思うんですね。その恩恵を僕らが今本当に受けてて、当たり前のようにギターであったりベースとかバンドをつけてってできる。それがもう今、新曲を作るってなると、僕はもちろん民謡系の新曲も作ったりはするんですけど、やっぱりポップス寄りの曲も作ったりするので、そういう意味では、もう今は島唄とJ-POPってのはあまり差はないんじゃないかなって思いますね。

田家:なるほどね。次の曲もですね思いがけない曲でありました。

北谷町の歌 / ホップトーンズ

田家:お聴きいただいているのは、今日の8曲目、ホップトーンズ「北谷町の歌」。

よなは:これは1980年4月1日に北谷村から北谷町に町政移行するんですね。そのときに作られた歌で、北谷町でしか聞けない歌なんですよね。

田家:これ流通してるんですか?

よなは:してないです。うちにもレコードがありまして、ちょうどね僕が小学校ぐらいの時に、午後3時になると公民館のスピーカーからラジオ体操が流れるんですね。ラジオ体操が流れた後に、この曲が流れるっていう。

田家:沖縄中央混声合唱団出身の4名のコーラスグループ、ダークダックスがそういう流れの。でもマルフクレコードからシングルになったっていうのは。

よなは:おそらくこれはお店で売ってるんではなくて、町民に配ってる感じだと思います。

田家:それは北谷っていう町がそういう意味では、ある意味意味を持ってる。

よなは:そのときの北谷っていうのは本当に海なので、海邦国体のときの1987年にいろいろ整備をするわけですね。国体会場を作ったり、それが今の海寄りの北谷というところで。僕らが住んでたところは北谷町の謝苅というところで、山の方なんですよね。本当に何もないところ。

田家:HYが初めてストリートライブをやったのが北谷で、僕見に行きましたけど、りんけんさんのお店、りんけんズキッチンが北谷のサンセットビーチにあって行きましたけど。

よなは:あの辺埋立地ですね。元々海でした。

田家:なるほどね。でもそういういろんな街にこういうストーリーは歌があるっていう感じなんでしょうね。

よなは:そうですね。特に今この美浜っていうりんけんさんのお店があるところで観覧車があった場所で、いろんな方が人たちがそこでストリートライブをやって本当に全国に行きましたしね。本当に北谷が出発点っていうアーティストさんも大勢いらっしゃいますしね。

田家:那覇じゃないんですね。

よなは:那覇ではないですね。やっぱり北谷ていうかコザというか。どっちかというと僕はコザで育ったようなものなので、音楽的に。もちろん那覇で育って那覇で活動している方々もたくさんいらっしゃいますけど、どっちかというと那覇派とコザ派に分かれるのかなって。

田家:BEGINは石垣島ですしね。

よなは:やっぱり北谷にも昔ながらの歌があったりもしますしね。あと、エイサーが盛んな地域で。沖縄市が盛んって言われてるんですけど、どっちかっていうと、北谷はライバルみたいな感じがありまして。北谷の方がすごいぞっていう何かあるんですよね。

田家:HYはうるまの方ですもんね。

よなは:本当に東海岸の方ですからね。

田家:そういう意味で沖縄はやっぱり町と人々の暮らしと歴史と歌が全部一緒になってるっていう面白さがありますね。今流れてるのは、先ほど聞いた「北風(NISHIKAZI)」。よなはさんのアルバムの中の曲ですけども、この『Roots~琉楽継承』シリーズは今後どうなっていくんでしょう。

よなは:今後も40代50代60代って歳を重ねることによって、自分の今の声を演奏、残したいっていうのがありますので、この『Roots~琉楽継承』の活動はずっと続けていくつもりですね。一方で、自分の創作活動といいますか音楽活動。今元THE BOOMの小林孝至さんとユニットを今年作りまして、そっちの方の作品も今後発表していこうかなと思っております。

よなは:宮沢さんだけではなくて、小林孝至さんもちゃんとそういう音楽で沖縄に関わっている。今年の夏の予定は。

よなは:7月12日にアルバムを出す予定です。

田家:小林さんのバンドで。今日は本当に駆け足で入口だけちょっと見せていただいたんですけど、島唄を沖縄の音楽で知ってほしいことってありますか。

よなは:沖縄の音楽、古い音楽ってのがいっぱいあるんですね。ただ、なかなか聞く機会というか流れてるのを聞く機会ってのがないので、ぜひディープな沖縄の曲に興味を持っていただけたらなと思って、その入口、きっかけに僕なれたらなとは思っておりますね。

田家:最後に、よなはさんのレジェンドカフェ、喫茶店がもしおありになったら。

よなは:それこそ沖縄市に「原点」という喫茶店があるんですよ。本当にメニューもコーヒーしかないんですよ。もう何もない。コーヒーだけなんですよね。キャンパスレコードの近くですけれども。今もやっていればいいんですけども、コロナ禍でどうなったかわからなくてですね。

田家:この夏、沖縄に行かれる方、沖縄市コザに行ってですね、喫茶店「原点」を探してみてください。ありがとうございました。

よなは:にふぇーでーびたん。

Rolling Stone Japan 編集部

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