Gacharic Spinの最終形態、アンジェリーナ1/3が語るアルバムで描いた二面性

―もともとアンジーさんは、どうして音楽の世界でやって行こうと思ったんですか?

アンジー:音楽をやりたいと思ったのは、お父さんが中学校1年生の時に亡くなったことがきっかけだったんです。それまで芸能のお仕事をしたいなっていう漠然とした夢があって、お芝居の仕事とかをやっていたんですけど、それを一番応援してくれていたお父さんの存在がいなくなったときに、「これってやってる意味あるのかな?」と思って1回やめて中学校3年間普通に学業専念しようと思ったんです。そのタイミングでお父さんの遺品整理をしたらいろんなアーティストのCDがいっぱいあったんです。それを見たときに、「お父さんとドライブ行くときこの曲聴いてたよな」「お風呂入ってるときずっとこの曲歌ってたよな」みたいに、そのCDを見ただけで色んな思い出が蘇ってきたんですよ。やっぱり音楽ってそういうパワーがあるんだなって思ったときに、自分も音楽やりたいと思ったんです。誰かの人生に寄り添うとか大きいことは言えないんですけど、時間とか心とかにリンクして音楽っていつもそばにあるものだなと思うし、私がいつか死んじゃったときに、自分の肉体はないけど歌声ってずっと残っていくじゃないですか? それってすごくロマンがあるなって思うんです。そういう意味でも、音楽をやりたい気持ちが自分の中ですごく大きくなっていきました。


アンジェリーナ1/3

―その思いがどうやってGacharic Spin加入につながっていったんですか。

アンジー:音楽や表現に関することが専門的に学べるような高校に通い始めて、学園祭で初めて弾き語りでステージに立ったんです。そのときにたまたまうちのリーダーのKOGAさんが新メンバーを探すために、弾き語りのイベントやアイドルさんのイベントに行ったりしていて、それこそ学園祭みたいなところにも、観に行っていたんです。それでたまたま私が弾き語りをしてるところを観てくれたんです。それで後日、校長先生経由で、「F チョッパー KOGAさんからオーディションの話があるんだけど受けてみないかっていう話をしてくださいましたよ」って言われたんです。

―へえ~! 高校の学園祭まで足を運ぶってKOGAさんもすごいですね。

アンジー:そうなんですよ(笑)。その頃私はバンドサウンドが大好きでライブハウスに頻繁に通っていろんなバンドのライブを観に行っていたんですけど、ちょうどその年にGacharic Spinのライブをファンとして観て、すごく好きになっちゃって。「こんなかっこいいガールズバンドいない!」と思っていたバンドのリーダーから「オーディションを受けてみない?」って言われたので、もう二つ返事でオーディションを受けて、加入に至ったんです。

―学園祭でスカウトされるってすごいエピソードですね(笑)。でも、バンド未経験の状態から既に10年活動してるバンドのフロントマンを任されるって大変なことですよね。怖さとかはなかったですか?

アンジー:その学園祭の次のステージが、Gacharic Spinに加入後初ライブの恵比寿リキッドルームだったので、もう怖いとかじゃないっていうか(笑)。「もうとにかくやるしかない!」みたいな気持ちだったんで、どっちかと言ったらその後のツアーでライブハウスを回ったりとかして、ステージに立つ意味やすごさ、このステージ1つにどれだけの人が関わって作っていってるんだっていうことを理解してからの方が緊張するようになりましたし、恐怖心みたいなのもあったりはしましたね。

―ところで、学生時代はバンドを作ろうとは思わなかったんですか?

アンジー:バンドはずっとやりたかったんですけど、当時「私と同じぐらいの熱量でバンド好きでバンドやりたいって思ってる子なんてまわりにいない」って思ってたんですよ。ちょっと履き違えた尖り方なんですけど(笑)。でも本当にバンドが好きすぎて、ライブハウスに通うためにバイトを頑張って、学校のお金とかも払いながら残ったお金を全部バンドに注ぎ込んでたので、自分ぐらい熱い気持ちがない人とバンドを組んでも意味がないみたいなって思っていたんです。私はSUPER BEAVERさんが大好きなんですけど、SUPER BEAVERさんって学生の頃に結成していてライブの熱量もすごいし、言葉とか人とか空間をすごい大切にしたライブをするんで、「これをやりたい」って思ったときに、本当にマジで死ぬほどバンド好きで死ぬほどライブが好きな人じゃないとこの空気感は絶対出せないから、そんな人は私のまわりにいないって思ってバンドは組んでなかったんです。でもとりあえず音楽の実績を積まないことには始まらないと思って、弾き語りをやっていたんです。

―そのときは曲の合間に喋ったりもしたんですか?

アンジー:頑張ってMCもやってましたけど、今映像を見たらもう恥ずかしくて見れないです(笑)。でも私、基本出たがりなんですよね、きっと。だから出番の時間があれば全部くれっていうぐらいだったんで、そのときは全然恥ずかしさとかもなくやりきってました。

―いまや地上波のテレビやラジオにもたくさん出演されてますもんね。神田伯山さんとの関わりが話題になっていますけど、交流が生まれたのはどうしてなんですか。

アンジー:私がラジオ日本で1年間冠番組(「アンジェリーナ1/3のアンジェネレーションラジオ」)をやらせていただいたときに、リスナーさんからのメールで、「神田伯山さんという講談師の方がすごく良いからぜひ講談に触れてみてください」って教えてもらって、それをきっかけに、伯山さんのYouTubeチャンネルで「中村仲蔵」という講談を聞いたときに、もうボロボロ泣いてしまって。その「中村仲蔵」というお話自体が、自分の人生と重なる部分が結構あったので、号泣しながら約40分の講座を聞いて、「こんなに素晴らしいものを知らなかったなんて、何してんの自分」と思って、そこからすごく講談が好きになって、自分の人生の糧になっている芸事が講談になりました。そこから、私が「「中村仲蔵」を聞いて講談が好きになりました」ってラジオで話していたのを伯山さんが聞いてくださってて、TBSラジオの「問わず語りの神田伯山」で私の名前を出してくださって、そこからラジオ同士のラリーみたいなのがあって、半年越しのオファーが実って私の番組にゲストで来てくださったんです。そこから本当によくしていただいて、「伯山の妹」って呼んでくださるようになりました。



―伯山さんのラジオ番組「問わず語りの神田伯山」でピンチヒッターを務めたこともあったんですよね。

アンジー: 2022年4月に伯山さんのコロナ陽性に伴い、30分間ぽっかり穴が開いてしまうからどうしようってなったときに代打で私のことを呼んでくださったんです。講談界もそうですし大衆芸能、伝統芸能の人たちって下の世代の子たちをちゃんと出してあげないといけないって考えてくださる方たちが多いんですけど伯山さんもその1人で、Gacharic Spinのことも応援してくださっていて、「この機会にアンジーに是非30分ラジオの代役をやって欲しいです」って言ってくださったんです。大好きな番組だったし、それこそリスナーさんもすごく耳が肥えてる方ばかりなので、自分で大丈夫かなって気持ちもあったんですけど、伯山さんが作ってくださった1つのステージだから「私は絶対ここを成功させます!」っていうことで30分間お話させてもらいました。

―そこでアンジーさん自身、1つステップアップした感じ?

アンジー:そうですね。あの回がなかったら多分、この1年の動きはなかったんじゃないかなって思ってます。

Rolling Stone Japan 編集部

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