このアルバムがアメリカで初めて発売されたのは、87年だった(オリジナルのジャマイカ盤は77年発売)。その時のキャッチコピーは、「これまで録音されたレゲエ・アルバムの中で、10本の指に入る名盤!」――大げさに聞こえるかもしれないが、決して間違ってはいないのだ。  76年に結成された3人組レゲエ・グループ、カルチャー。彼らの曲のほとんどでソング・ライターを務めていたのは、リーダーのジョゼフ・ヒルだった。彼が作詞・作曲をした曲は、政治性や洗練度という点では、確かに、レゲエ界の神様であるボブ・マーリーにはかなわなかったかもしれない。その代わり、ボブ・マーリーは彼らのような“1曲目から最後の曲まで、全曲がパーフェクト!”というアルバムを作ることはなかった。アルバム単位で評価するなら、本作は「10本の指」どころか、「史上最高のレゲエ・アルバム」と呼んでもおかしくないほどの歴史的名盤なのである。  ジャマイカで本作がリリースされた77年、カルチャーはまだ結成されたばかりだった。しかしヒルは、これが自分にとって最後のアルバムになるという覚悟で録音に臨んだのだという。ラスタファリズム(30年代にジャマイカ黒人の間で起こった、アフリカ回帰を唱える宗教運動)に心酔していたヒルは、世界規模の大災害が77年に起こると信じていた(タイトルの“Two Sevens Clash”は、“ふたつの7”が衝突を起こす、の意)。このアルバムが全編にわたって「レゲエ版ゴスペル(黒人霊歌)」とでも呼ぶべきスピリチュアルなメッセージで満ち溢れているのは、まさにそのせいだったのだ。

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