永瀬正敏が共鳴する、JAMES GROSEの美学―40年の時を経て復活を遂げたレザージャケット
Masatoshi Nagase meets JAMES GROSE
40年という時を経て復活を遂げた英国の老舗レザーウェアブランド、JAMES GROSE(ジェームス・グロース)。ロンドンの革工房にて手作業で作られたアイテムの数々を日本を代表する俳優・永瀬正敏が纏い、ブランドのフィロソフィー、職人のこだわり、表現者の信念、その想いを語ってくれた。
JAMES GROSE(ジェームス・グロース)のジャケットに袖を通しながら、永瀬正敏はその「数奇」と もいえる歴史に思いを馳せた。JAMES GROSEは、1876年に創業した英国の老舗レザーウェアブランド。ロンドンの中心地でランドマークとして長らく営業したが、1970年代に不況の煽りを受けて一度閉鎖。それから約40年、工場に保管されていた JAMES GROSEのアーカイブ品が見つかったことから、2016年に復活を遂げている。
「40年前のアーカイブが残っていたというのが奇跡ですよね。それを忠実に再現したということは、オリジナルのデザインや技術が素晴らしかったということ。しかも、一旦ゼロになったところから這い上がるのは並大抵のことではないと思う。そこにはロック魂を感じます」「いいものは残りますからね。そこは僕らも気をつけなければと思っていること。偉大なる先輩たちが残してくれた傑作が今見ても素晴らしいのは、1作1作に精魂を込めているからなんですよね。衣装に関してもそう。以前『ユーリ ЮЛИИ』という映画に出演したとき、役のイメージに合う服がなかなか見つからず悩んだことがあったんです。そんなとき、美術監督の磯見俊裕氏が『この子は心の中がずっと 雨降っているから、雨合羽でいいんじゃない?』と言ってくれて。それで雨合羽を着てみたらすごくしっくりいったんです。どれだけ脚本を読み込んでくださったのかなと思って感動したことを覚えています」
黒澤明の娘で、『万引き家族』など数多くの衣装デザインを手がける黒澤和子と仕事をした時も、細部までこだわる職人気質に感銘を受けたという。
「例えば時代劇の場合、風味を出すため1、2ヶ月前から天日干しにしたり、必ず一度赤に染めてから黒を乗せて深みを出したり。これはまた別な方だったと思うのですが『昔は守神だったから』という理由で、家紋の下(裏地)にわざわざ髑髏(しゃれこうべ)の刺繍を入れてくれたこともありました。『神は細部に宿る』と言いますが、そうやって見えない部分にまでこだわるからこそ、作品に深みが出るのだと思いますね」
今や日本を代表する俳優、永瀬正敏。彼を世界に知らしめたジム・ジャームッシュもまた、ファッションや音楽へのこだわりを強く持つ映画監督の1人だ。1989年に日本公開された『ミステリートレイン』は、メンフィスのホテルを利用することになる3組の登場人物たちの、それぞれの出来事を3編に分けたオムニバス形式の作品。第一編では、永瀬が扮する日本人観光客ジュンと、工藤夕貴扮する恋人ミツコが、メンフィスにあるエルヴィス・プレスリーのグレース邸や、名だたるミュージシャンが使用した聖地「サン・スタジオ」を訪れる。
「『ミステリートレイン』のときは、なぜ僕らはこのメンフィスで撮影をするのか、最初に音楽の歴史を紐解きながら時間をかけて説明してくれました。とにかくジムは、音楽に対する並々ならぬリスペクトを持った方。撮影中、ボブ・ディランがツアーでメンフィスを訪れたときは、撮影を一時中断してスタッフ、キャスト総出で観に行きました。『音楽の聖地で音楽映画を撮っているのに、音楽の神を観ないわけにはいかないだろ?』と言って、全員分のチケットを買ってくれたんです。そんな現場は、後にも先にもなかったな」
絵作りに対する熱意もジャームッシュは生半可ではない。
例えば『ミステリートレイン』の画面には、「白」が一切出てこない。ジュンとミツコが宿泊していたホテルのベッドシーツさえも、白だったのを少しグレーに染め直す念の入れようだったという。そんな妥協を一切許さない美意識は、永瀬がジャームッシュ映画としては、『ミステリートレイン』から実に27年ぶりに出演した『パターソン』でも全く変わっていなかった。
「音楽や美術だけでなく、衣装へのこだわりもすごいんですよ。『パターソン』ではデッドストックのスーツを60着くらい用意されたんじゃなかったかな。僕が演じた詩人は黒っぽいスーツにメガネをかけていたため、『ティピカルジャパニーズとして安易な外見』なんて揶揄した人もいたのですが、それは上っ面しか見ていないと思いますね。なぜなら、あの時に着ていたスーツはジムと衣装さんがキャラクターに合ったものを本当に細かいところまで吟味したものを、わざわざ僕の体型に合わせて最後に仕立て直している。詩人なのになぜスーツにネクタイなのか?という意味もあからさまには説明されてませんが、実はちゃんと込められているんですよ。メガネもそう。ジムと僕が気に入ったメガネは古道具屋さんから見つけてきたもので、かけると頭がクラクラしてしまうくらいレンズに強い老眼が入っていたんです。撮影は翌日だったし、少し無理してこれでやろうかな?と思っていたところ『僕のアクターが演技に支障があっては困る』とジムが言い、たった1日でレンズ交換の手配と、もう1つ同じ形のサブの物まで必死に見つけ出して用意してくれたんですよね」
そんな、職人のこだわりが行き届いた作品作りはJAMES GROSEのフィロソフィーにも通じるものがある。ブランドのすべてのアイテムに本格的な地厚レザーを使い、1点1点イーストロンドンの革工房で手作業で作られたそのアイテムには、熟達した職人の技が光る。
「そうですよね。こだわりを感じるものが好きなんですよ。僕はLÄ-PPISCHの上田現さんに楽曲を作ってもらったことがあるのですが、その時に『君の曲なんだから、オケのレコーディングにも参加した方がいいよ?』と言われたんです。楽器は全然弾けなかったんですけど、鍵をチャリンと鳴らす役割を与えてもらって。あってもなくてもいい音なのかもしれないけど、そこで参加していることが大事だと現さんは考えてくださったのでしょうね」
そうしたこだわり、クラフトマンシップに心を動かされるのは、永瀬自身が職人に対する憧れを強く持っているからだろう。
「死んだ爺さんが写真館を営んでいたんですよ。カメラマンでも写真家でもない『写真師』という職業の彼を間近で見ていたので、職人さんのこだわりや苦労を多少はわかりますし、彼らへのリスペクトの気持ちがとても強いです。ただ、こだわりが前面に出過ぎてしまうのも違うと思っていて。『病院で何ヶ月も過ごして医者の役作りをしたのね』なんて思いながら映画を観ていても、ストーリーなんて全然入ってこないじゃないですか(笑)。細部までとことんこだわりつつ、それを表に見せない作品が個人的には好きですし、そこもJAMES GROSEの美学に通じる気がしますね」
思えば日本には様々な伝統工芸や職人技がある。そのことを、「外側からの目」によって気づかされることもあると永瀬は語る。「外国の方が日本に来るという企画のテレビ番組があるじゃないですか。たまに見ていると、外国人を通して日本の職人技の凄さを思い知らされることが多いんです。興味のある伝統工芸を、一通り習ってみたいとこの歳になって思っていますね。気づいたら90歳くらいになっていたりして(笑)」
俳優としてだけでなく、ミュージシャンそして写真家としても活動する永瀬には、もう一つ大きな夢があった。
「ジャンルの垣根を越えて、みんなで一緒に面白いものを作っていきたい。僕が若かった頃は、ミュージシャンはミュージシャン、役者は役者でテリトリーが決まっていて、その垣根を超える人たちを揶揄するような風潮があったんです。僕が革ジャンを着て映画のオーディションへ行くと『ミュージシャンじゃねえんだから』みたいな理不尽な理由で落とされたりして。妙な特権意識がそれぞれのジャンルにあったんですよね。『自分のところが一番』みたいな。それって本当にばかばかしいと当時から思っていました。国内外や性別年齢問わず、様々な分野のクリエーターが集まれるような環境作りができるよう、今できることを粛々とやって行こうと思っています。
PROFILE
永瀬正敏
相米慎二監督『ションベン・ライダー』(1983年)でデビュー。1990年にジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』に出演し、注目を集めた。山田洋次監督『息子』(1991年)では数々の演技賞に輝き、以降もメジャーからインディーズまで作品の規模を選ばず活動している。10/13より Prime Videoで世界同時配信される Amazon Original 映画『次元大介』 に出演。
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