SUM 41が語る、バンドでプレイする感覚と意味、ポップ・パンク/エモのリバイバル

SUM 41

SUM 41は日本と相思相愛の関係にあるバンドだと思う。バンドも日本が大好きだし、日本のファンもこのバンドを熱狂的に支持している。初来日は2002年で、日本ではすぐにブレイクしているし、当然来日した回数もかなり多い。SUMMER SONICには何度も出演しているし、さいたまスーパーアリーナや国立代々木競技場第一体育館でもやっているし、国内外のバンドをサポートに迎えたSUM 41フェスティバルというのもあった。

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東日本大震災の直後、来日バンドとして初めて被災地の仙台で公演も行ったというのも感慨深い。前回の来日ツアーは2020年1月のコロナ禍直前のものだった。PUNKSPRINGはというと、2009年にヘッドライナーとして初出演を果たし、2012年、10周年となった2016年にも出演していて、今回のPUNKSPRING復活となる2023年の出演も決まっている。リードボーカル&ギターのデリック・ウィブリーにZOOMでインタビューを行った。

―SUM 41が初めてPUNKSPRINGに出演したのは2009年でしたが、ヘッドライナーだったんですよね。

デリック そうそう。あの時はママにもライブに来てもらったんだよ。

―ママは何か言いました?

デリック ママはスゴく楽しんだみたいで、あの時のことはずっと話してるよ。また日本に連れていってほしいってずっと言ってるね(笑)。ママが日本に行ったのはその時が初めてだし、その時一度だけだから。

―SUM 41は何度も日本に来ていますが、全般的に日本の印象はどうですか?

デリック 日本はいつだって大好きだ。日本は僕たちが成功できたと思った最初の場所の一つなんだよ。日本ではすぐに人気に火がついてビッグになれたんだ。最初にクラブクアトロでライブをやったら大盛況で、その後すぐに大きな会場でやることになったんだ。日本でライブをやるといつも最高だし、観客はいつもクレイジーだし、日本にはいつ行っても楽しいんだよね。ご飯も美味しいし、夜遊びも楽しいからよくパーティもしてたよ。

―初来日の時はマジックマッシュルームを食べたり、クラブに行って楽しんだりしましたよね。

デリック そうそう(笑)。マッシュルームは当時まだ合法だったからね。

―ライブのセットリストですが、いつもどのように考えるのですか?

デリック どうだろう。みんなが一番好きであろう曲は、絶対にやりたいっていうのはあるね。あまり人気のない曲をやっても僕たちは楽しいとは思わないから。とは言っても、毎回少しずつ違う感じを入れたいっていうのはある。でも実際はあまり考えすに、自然にセットリストを作ってる。ライブをやるってなったら、みんなでセットリストをまとめる感じさ。

―PUNKSPRING用には何か考えています?

デリック あまり先のことは考えないようにしてるんだ。もっとその時のエネルギーを感じたいからね。

―今度のPUNKSPRINGのラインナップにはシンプル・プランも入っていますが、シンプル・プランとは去年一緒にツアーを回ったんですよね。

デリック そうそう。素晴らしいツアーになったよ。アメリカ、ヨーロッパと回って、さらに他のところでもツアーで回りたいってなってる。不思議なことに、僕たちが一緒にツアーをするのはそれが初めてだったんだよ。ツアーをやろうって話はずっと出てたんだけど、それがいつ形になるのかはタイミングの問題だった。いいタイミングが来たからやることになった感じだ。



―大きなフェスでプレイするのと、小さなクラブでプレイするのとでは、どこが違いますか?

デリック 僕はどんな場所でも、どんな規模でも、プレイするのが好きなのには変わりがない。ただ、同じことを何度も繰り返すのは好きじゃないんだ。毎晩小さなクラブで同じ曲をやってると飽きてくるし、大きなフェスばかり出てると、どこか違うところでプレイしたくなってくる。どちらでプレイするのも大好きなんだけど、同じことを繰り返すのは好きじゃないし、違うことをやった方が楽しめるからね。最近やった小さなクラブのショーでも、みんなが叫んでくれてスゴく盛り上がったから、スゴく楽しめたよ。


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