ケレラがR&B傑作『RAVEN』で達成した、遊泳するアンビエントと攻撃的なビートの共存

ケレラ(Photo by Justin French)

 
2013年のミックステープ『Cut 4 Me』、2017年のデビューアルバム『Take Me Apart』で音楽シーンに衝撃を与えたケレラ(Kelela)が、名門Warpより最新アルバム『RAVEN』をリリースした。すでに主要メディアでは称賛の嵐、「早くも2023年の年間ベスト確定!」との声も聞こえてくる今作。オルタナティブR&Bの申し子による新境地を、文筆家/ライターのつやちゃんに解説してもらった。

「水の神秘性」とアンビエント

「自分でも、歌詞を書いたあとにそれに気づいたの。多分、洗礼だったり再生を意味するのかな。滝の水の下で洗い流され、よみがえりを感じるような」

あなたにとって「水」とは?という質問に対し、ケレラはそう答えている。アートワークから曲のタイトル、サンプリング音、リリックに至るまで、水の持つ不思議さに憑りつかれている本作は、ケレラがこれまでも持ち合わせてきたアブストラクトな要素を決定的にあぶり出しているようだ。



そもそも、これまで古今東西のあらゆる優れた音楽家が「水」の魔力にインスピレーションを受け、おおいに引用してきた。顕著なジャンルとしてはアンビエントで、たとえば高木正勝はじめ多くの作品で水の音が頻繁に捉えられるし、「アンビエンスなムード」という広い括りで考えると、滴る水の音を楽曲へと静かに取り入れてきたミュージシャンはアルバム・リーフやボーズ・オブ・カナダなど枚挙にいとまがない。ヒップホップではジェルー・ザ・ダマジャの「Come Clean」でDJプレミアがサンプリングした水滴のような音が真っ先に想起される。アートワークに目を向けると、水しぶきを写すガスター・デル・ソルの『Upgrade & Afterlife』は、様々な音色と不協和音が一体となり溶け込むことで音のグラデーションの境界を揺らぎ続ける。同様の揺らぎのアプローチは国内でも岡田拓郎によって「Deep River」や「To Waters of Lethe」といった曲で緻密な音響とともに表現され、優河も近作「WATER」で夜明けの曖昧な心情を描いた。近年のR&Bでも、水のフィーリングはUMIが「River」でアトモスフェリックなムードによって歌いあげ、ケラーニは昨年『Blue Water Road』で海から香るフレッシュな感性をアルバム全体に投影している。




果たして、水とはなぜこれほどまでに表現者を惹きつけるのだろう。爽やかで清涼感ある印象を喚起させる一方で、水には神秘性が潜んでいる。一つに、曖昧さ。境界をあやふやにさせる隠喩としての機能である。そして、運動性。一見停滞しているように見えるシーンにおいても、水の流動体としてのせせらぎは作品にいくばくかの動きを与える。さらに、時間への意識。動き続ける水を捉えることで、鑑賞者を時間という概念の渦に引き込むことができる。以上のような水の効果は、例えば映画作家であるアンドレイ・タルコフスキーの作品におけるアプローチが真っ先に挙げられる通り、音楽に限らず様々な表現において共通の魔力を放っていることが分かる。



そしてケレラの今作『RAVEN』においても、水の魔力があらゆる効果を発揮し、聴く者をビザールな音の洪水へと誘い込んでいるのだ。冒頭の「Washed Away」から、リバーブの効いたパッド音を背景にケレラの声とシンセがこだまし、終盤には水しぶきが聴こえる。「Sorbet」では、“It's waves / Rushin in / The taste on my mouth / Can we go again=波よ押し寄せて/口の中の味/もう一回行ける?”というリリックに乗せて、身体の境界が溶けていくようなアンビエンスなサウンドがじわじわと広がっていく。ゆったりとした静謐なベース音は、水中の中からぽつぽつと浮き上がる気泡のようにも聴こえる。続く「Divorce」では、さらにゆらゆらとなびくような音とともに次のようなリリックが歌われる。“Under the surface/I'm lying/Fighting the tide/Now I'm drowning/Pushing a rock up a mountain=水面下で私は横たわる/潮に逆らって溺れる/岩を押し山に登る”――。この揺らぎは、押し寄せる波の音が生々しくサンプリングされる最後の曲「Far Away」までひたすらに続く。



ケレラは今作で、水の神秘性や魔力をアンビエンスなサウンドで表現しているのだ。ヨー・ヴァン・レンズとフロリアン・T・M・ザイジグからなるデュオ・OCAをはじめ、起用されたプロデューサー陣は、ケレラ自身が感じている身体や感情のおぼつかない感覚をじっくりと繊細に料理する。その感覚はもちろん、この優れた音楽家が黒人女性というだけで受けてきた不当な扱いに対し抱く、怒りや哀しみを起点に生まれている。

本人は次のように語る。「業界には、皆が用いるスタンダードな曲の書き方が存在していて、しかも、それはどんどん範囲が狭くなってる。特にエンタメ業界の中の黒人女性に求められるものはそう。より肌の明るいライターたちがある基準を作ってるのよね。成功するためのスピードとか、サウンドとか、体型とか。投資金だって、その基準に従って決まっていたりする」。

それがゆえに、共同制作者であるアスマラとバンビーとは同じ葛藤でつながっているようだ。「アスマラもインディアン・アメリカンだし、バンビーも黒人だし、私たち皆が全く同じではなくても、男性や白人のエゴと戦ってきた。だから、私たちは3人とも気持ちが分かり合えるの。自分たちがやるべきことをやってきて、彼らがやっていないことがわかりながら作業をしなければいけない気持ち。歌詞にも制限があったり、本当に意味のある作品というものを作りたいのに作れない葛藤を、私たちは経験しているのよね」。

 
 
 
 

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