シーナ&ロケッツの鮎川誠が74歳で死去 亡くなる直前まで音楽制作に没頭

鮎川誠、2005年撮影(Photo by Jun Sato/WireImage)

シーナ&ザ・ロケッツのギタリストでリーダーの鮎川誠が、1月29に膵臓がんのため死去。享年74。本日30日に同バンドの公式サイトで発表された。

鮎川は1948年5月2日生まれ、福岡県出身。1970年に篠山哲雄や柴山俊之らとサンハウスを結成し、「めんたいロック」の草分けとして1978年の解散まで活躍した。その頃にシーナと出会い、1976年に結婚。1978年に2人で上京してシーナ&ザ・ロケッツを結成し、「涙のハイウェイ」でデビュー。黒いサングラスをトレードマークに、日本を代表するギタリストとして活躍。1979年に発表したシングル「ユー・メイ・ドリーム」が日本航空のCMに起用され、一躍ブレイクを果たした。

1980年にはYMO初の国内ツアーにサポート・ギタリストとして参加し、翌年の武道館公演ではYMOとシーナ&ロケッツの共演が実現。1998年にはニューヨークのCBGBでライブデビューを果たす。フジテレビ「愛情物語」(1993年)、NHK朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」(2001年)など俳優としても存在感を発揮した。

2015年に最愛の妻シーナに先立たれた鮎川は、彼女の遺志を継いでオリジナルメンバーの奈良敏博、川嶋一秀とバンド活動を継続。昨年は45周年記念ライブを新宿ロフトで行った。しかし、同年5月に膵臓癌が発覚。余命5カ月の宣告を受けていたものの、「みんなに心配をかけたくないという強い希望から」病気については一切公表されなかった。鮎川は「自分が死ぬまでの間に1本でも多くシーナ&ロケッツのライブをやりたい」と、ライブの合間に治療を続けながら全国ツアーを続行。亡くなる直前までアルバムの選曲を考え、音楽制作に没頭していたという。



2月4日に世田谷区の森巌寺開山堂で、シーナと同じ「ロック葬」を執り行う。喪主は長女の陽子さん。

Rolling Stone Japanによる2020年のインタビューで、鮎川は70代を迎えながら「ロックがやれて幸せです」と感慨深そうに語ったあと、このように続けている。

「今日ロックに興味を持った、この間まで幼稚園で叩きよったような子がいきなりロックを聴いた、そういう若い人たちにも、何とか伝えたいっちゅうか、届いて欲しいって願って。ロックの世界はタイムレス、エイジレス。もうなんちゅうか輝いとるもんが勝ちっていうような世界やけんさ」

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