大村雅朗没後25年、生前最後のスタジオをともにした石川鉄男と音像を辿る

大村雅朗

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年12月の特集は「大村雅朗没後25周年」。1978年に八神純子「みずいろの雨」のアレンジャーとして脚光を浴びてから男性女性を問わずアーティストのアレンジを手掛け、1997年に46歳の若さでこの世を去った編曲家・大村雅朗を偲び、軌跡を辿る。

パート2では2023年2月に開催される「没後25周年メモリアルスーパーライブ ~tribute to Masaaki Omura~」に出演するB・T・S BANDのマニピュレーターで、大村を師と仰ぐ石川鉄男をゲストに迎え、思い出の曲をテーマに8曲を選曲し語る。

関連記事:松本隆がアイドル界・歌謡曲界に変革をもたらした70年代後半から80年代を辿る

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは松田聖子さん「櫻の園」。1999年のアルバム『永遠の少女』の中の曲ですね。作詞が松本隆さん、作曲が大村雅朗さん。松本さんの元に残されていた曲に聖子さんのアルバムだったらこの曲を活かしたいということであらたに詞をつけた曲です。彼女がレコーディング中に大村さんの曲だと知って号泣した。そういうエピソードが有名です。今週の前テーマはこの曲です。



今月2022年12月の特集は「大村雅朗没後25周年」。大村雅朗さん再評価の年となった2022年の締めくくりの12月、大村雅朗さんの軌跡を辿ります。今週はパート2。ゲストにトリビュート・コンサートのバンドB・T・S(Baku-san Tribute Session) BANDのマニピュレーター、そして今流れている「櫻の園」の編曲担当、大村さんを師と仰ぐ方です。石川鉄男さんです。

石川:こんばんは。よろしくお願いします。

田家:没後25年ということで、あらためて思うことを。

石川:四半世紀でもう25年かという思いですね。僕は大村さんと最後の方まで仕事をしていたんですけど、亡くなる時に十分心の準備ができていたんですね。亡くなった後に「あー亡くなった……」というよりは「ついにこの時が来たのかな」という感じだったので亡くなった印象があまりなくて、「もうそんなんなの?」って感じの25年ですね。

田家:晩年の2年間もずっとほぼ一緒にいらっしゃった?

石川:亡くなる1~2年ぐらい前ですかね。大澤誉志幸さんのレコーディング兼プリプロダクションでニューヨークに行っていたんですけど、大村さんが急に体調悪いんだけどって。あまりそういうことを言う人じゃないんですよ。スタジオって変な話、親が死んでも来るようなところだったんですけど。譜面もいつもより細かく書いたので、これだけあれば僕が説明できるんでって僕がレコーディングして。夕方頃に大村さんが帰ってきて「俺、あと半年って言われたんだよね」って。そこからがラスト2年ぐらいのスタートというか。それを知りながら2年間ずっと一緒にいた感じです。

田家:石川さんのプロフィールとかお話を拝見すると、大村さんは師である。

石川:そうですね。大村さんは僕のことを弟子とは思ってないですけど(笑)。シンセサイザーのプログラマーって名前があったんですけど、どちらかと言うとプロデュースとか編曲に興味があると言ったら、まだ若い僕に全て手足を取るように教えてくれたんです。ディレクターがああいうふうに言ったことはマネしちゃダメとか言われたり(笑)。

田家:まさに師ですね。「櫻の園」は石川さんの編曲でらっしゃるわけですが、「櫻の園」の話はこの後またゆっくり伺おうと思います。今日は石川さんに思い出の曲ということで8曲選んでいただきました。今日の1曲目、1978年八神純子さんで「みずいろの雨」。

Rolling Stone Japan 編集部

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