ヒップホップ・カルチャーを担う女性たち「Sara Iijima」

Photo by Mitsuru Nishimura

ユニバーサルミュージックのインターナショナル部門に勤務し、 自らもパワフルに動き回る飯島沙来。 世界規模の熱気を生み出すトップクラスのラッパーらと、どのように日本のマーケットにインパクトを与えてきたのか。その志と裏側を語ってもらった。

【写真を見る】2018年「HIP HOP DNA」主催のイベントで来日したジュース・ワールド

ーまず、飯島さんのバックグラウンドから伺ってもいいですか?

飯島 もともと日本人と在日韓国人のミックスで、日本人のお母さんに育てられていたんですが、母親がシングルマザーということもあり、人と違うからといって差別を受けないようにという理由もあって、横浜のインターナショナルスクールに通っていたんです。日本の学年で言うと中2のときにカナダに留学して、翌年にハワイへ。その後に日本のインターナショナルスクールに戻って高校を卒業しました。大学時代はまたハワイとLAで過ごして、日本に戻ってちゃんと働く環境を作りたいと思い、最後の一年だけ日本の大学に通いました。

ー実際に音楽業界で働き始めたきっかけは何だったのでしょう?

飯島 大学時代に、FOXインターナショナル・チャンネルズ株式会社というケーブルTV局でインターンのような形で働くようになったんです。イベント事業を手伝っていて、海の家でのライブとか、ホテルでのパーティなどを体験させてもらいました。そこで、ライブやイベントを組み立てていくってすごく楽しいなと感じたんです。

ーまさに、今のお仕事にも繋がる職業体験だったんですね。そのまま、音楽業界に?

飯島 大学を卒業した後、ネットで検索してageHaを運営していたスタジオコーストに入社したんです。1年間、イベント制作企画部で働かせていただきました。当時のageHaは、各ジャンルの時代を作ってきた人たちが集まっていたクラブだったんですよね。そこで、イベントの仕組みを学ばせてもらいました。海外のアーティストもたくさん招致していたし、濃厚な1年間を過ごしました。その後は半年間くらい個人事業主として働いて、横浜のインターナショナルスクールの先輩から「ユニバーサルのインターナショナル部が人を探してるよ」と聞きつけたんです。それが、2015年の時でした。

ーユニバーサルに入社する際、迷いなどはなく?

飯島 カニエ・ウェストやケンドリック・ラマーとか、自分の好きなアーティストたちがみんな所属しているユニバーサルミュージック・グループだったから、もちろん興味はありました。

ー現在のお仕事の内容を伺ってもいいですか?

飯島 今は、ユニバーサルインターナショナル2(ツー)という部署でマーケティング部の主任をしています。アーティストのプロジェクトを担当する業務で、「この月に新作のリリースがあります」というような情報を事前にもらい、そのリリースに向けて何をするか、どういうプロモーションプランを組むか、ということを企画・プランニングしています。

ーこれまで、ユニバーサル時代に手がけた最も思い入れのあるプロジェクトは何ですか?

飯島 すごくいっぱいあるんですけど、ヒップホップ関連の仕事だと、土台となったのはHIP HOP DNAですね。ヒップホップのティストはすごく好きだし、日本で売っていきたいけど、出せるメディアが限られていたんですよね。他の洋楽のジャンルだったら、TV局に紹介して、朝の番組に「こんなに素晴らしい経歴のアーティストなのでMVを流させてください」と営業の仕方があるんですけど、(ヒップホップは)メインストリームのメディアで出せるところが本当に少なかったんです。だから、洋楽のヒップホップを自分たちで発信できたらいいよね、という気持ちのもと、当時、日本のヒップホップがすごく大きな盛り上がりを見せていたときだったので、日本のヒップホップ・アーティストたちがきっかけになって、洋楽のラッパーの曲も聴いてもらえるようになるといいなと思ったのが始まりですね。

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