SUGIZOが語る、90年代のUKシーンから受けた影響、「歌うこと」を捨てて手に入れた自由

ターニングポイントとなった「MESSIAH」

―DISC 1のなかで動きが出てくるのが6曲目「NO MORE NUKES PLAY THE GUITAR」。イラク戦争の渦中に、いわゆる反戦ソングど真ん中のこの曲をシングルにしたのも、SUGIZOさんらいしい動きですが、これは自然の流れでしたか? あるいは決意しての行動ですか?

決意でしたね。僕の意識が大きくメッセージを伝えたいという方向に傾いたのは、2001年の9.11以降です。その前から社会的活動はし始めていたんですけど、自分の音楽と個人的な活動を結び付けようとはあまり思ってなかったんですよね。けれど9.11の時に大きく揺さぶられまして、音楽はまだ使わなかったけど、ビジュアルとか自分のアートでそういう表現をし始めたんです。で、当時はSUGIZO & THE SPANK YOUR JUICEという自分の大所帯のバンドをやってまして、「SUPER LOVE」や「Dear LIFE」のように、どちらかと言うとブラックミュージックをベースにした表現を進めたかったんです。ファンキー路線である意味楽しくやりたかった、パーティーをしたかったという気分だったんですけど、2003年の初頭にイラク戦争が勃発して、自分のそういう浮ついた気持ちが吹き飛びました。今はソウルやファンクの楽しい感じをやってる場合じゃないなって思ってしまったんです。で、すぐに自分が表現のベクトルを移行して生まれたのが、「NO MORE NUKES PLAY THE GUITAR」だったんです。今思うとね、ソウル、ファンクでも十分にメッセージ性のあるものは作れたと思うんです。スライもそうですし、マーヴィン・ゲイの「What’s Going On」もそうですし。でもあの時、20年前は、メッセージ性を吐き出す時に、ファンク、ソウルじゃなくて、もう一度無骨なラウドなロックに立ち返りたいと、なぜか思ったんですね。当時の自分の先入観だと思います。30代そこそこの自分が、メッセージやキツイ言葉を表現する時に、16分のカッティングのソウルではなくて、ラウドな、攻撃的なテクスチャーをもったロックでやりたいと思った。今思うと、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに触発されたのかもしれないです。



―なるほど。

もう一つ大きかったのが、97年に始まった最初のソロのタームではLUNA SEAも同時に動いていたので、そのなかでロックバンドという体を自分のパーソナルの音楽で死守する必要がなかったんです。なので、97年は、バンドという枠を超えた本当にやりたかったアプローチに特化したんです。その次にソロに集中したのが2001年以降。その時はLUNA SEAが終幕していて、僕のなかではほぼ限りなく解散に近い状態だったんですね。だからバンドというスタイルを持っていなかったので、むしろ自分のソロワークのなかでロックバンドというフォーマットを必要としたのかもしれない。それが特に「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」には表れています。やりたいこととか言いたいことは、今聴いてもとても良かったと思うんだけど、やっぱり惜しいですね。歌詞は今見ると見事に中二病ですね。それで、それ以降自分でリリックを真剣に作ることからだんだん遠のいていきました。これは自分の役目じゃないってことを勘付いたんですよね。

―中二病とおっしゃいますが、ある意味ストレートというか、30代じゃないと書けない詞だとも言えます。

「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」もそうですし、「SUPER LOVE」もそうですけど、今の僕から見たら中二病で、浅い。言葉の天才だったら、シンプルで本当に奥深いものを作れると思うんですね。例えばそれはジョン・レノンであり、ボブ・ディランであり。あの人たちは、誰もが知っている言葉を使ってすごく深い表現ができる言葉の天才だと思うんですよ。残念ながら僕はそうじゃないみたいです。なので、そこには行けないっていうことを30代中盤で気づいて、自分で見切りをつけました。それで、次の「MESSIAH」からはガラッと変わるんですよね。

―「MESSIAH」から本当に変わりますよね。

歌うということに関して自分で見切りをつけた。と、同時に2007年にLUNA SEAが復活して、2008年にXが復活して、ロックバンドという状態がまた始まり、それが忙しくなるんですね。横にRYUICHIとToshlという最強の歌い手がいるんですよ。もう歌う理由がなくなりますよね。僕がしょぼい歌を歌っててもしょうがないので。もし僕がね、マーヴィン・ゲイばりにギタリストをやりながら歌えたら、あるいはカーティス・メイフィールドのように歌えたら、たぶん道は違っていたと思うんです。そもそも本当はプリンスになりたかったんです。つまり、圧倒的な存在になりたかったんだけど、その重要な幾つかの面が自分には欠落しているということで、30代で見切りをつけた。で、逆に得意なことに特化しようと思ったんです。それがギター中心であり、ダンスミュージックであり、サイケデリックな要素があるものでした。でも、ギタリストでもあり、作曲家であるというスタンスで活動を本格的に推し進めている日本人アーティストはあまりいなかったんです。あと重要なのが、歌うことを放棄したことによって、自分が音楽的に真に自由になったんですね。



1997年から2003年の一連のシングル作品、つまり「NO MORE MACHINE GUNS PLAY THE GUITAR」までは、やっぱりどこかでシングルを作るんだという意識があった。ポップミュージックの体をなくしてはいけない、みんなにわかりやすくなくてはいけないという自分の中での思い込みというか、強迫観念があったんですね。だから、一応ポップミュージックに頑張って寄せているんです。それはちゃんとフォーマットを守って作ってるものなのですが、そこから解放されたのが「MESSIAH」以降なんです。

―確かにDISC 1の「MESSIAH」以降の曲は解放されたものばかりですね。

ヒットチャートとか、枚数を稼ぐとか、そういう概念よりも、自分を表現することに特化している作品たちです。悪く言うと、LUNA SEAもXもあって、メジャー感という意味では、もう十分自分の立ち位置があった。だから、自分の本当に求めるパーソナルの表現の時に、同時に中途半端にメジャー感を意識しなくて良くなったというのがあります。ちゃんと自分の言いたいこと、発したいこと、出したい音、求めたい音楽を100%素直にやるようになった時期でした。僕のソロを応援してきてくれた方は知っていると思うんですが、それ以降僕の音楽は基本的にインストゥルメンタルになるんですけど、内包されているメッセージはすごく濃厚になってゆくんです。そこに移行していったのが「MESSIAH」をリリースした2009年ですね。

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE